白い心(ハヤンマウム)/神様が下さった最後の手紙(하나님이 주신 마지막 편지)

聖霊の火刀(성령의 불 칼)

utyujin 2024. 7. 10. 22:24
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8,135番目手紙の中から (2003年 10月 25日 07時 42分)

私が旧約と新約を下したのだから、そのすべてを下した意味が、なんだったか?私の息子イエスの苦痛であり、ヨブであり、モーセであり、アブラハムのその役事をしたのもすべて何であると思うのか? あなたたちの肉の目と見える役事をして目覚めさせたその理由は、なんだったか? あなたたちが肉を持って生きているこの世でどのように生きるかによって生まれかわる、変わらない、救いを受ける、受けることができないということを証拠しようとしたのである。
肉で見られるこの世の世俗の生活でそのすべての役事が成されたのに、今の宗教集団、誤った彼らがどのように教えるのか? そのすべての意味一つも知らずに、肉で行い地上で役事することは何でもないと教えるのだから、それ一つだけ正されれば、今私が新しい聖書の火刀で枝打ちして治めてあなたたちを切り捨てるそのような痛い役事は成さないのである。
私が今、私の新しい聖書を送り届けて刀として切るのは、誤った宗教集団、彼らから治めるのであり、そのようにしても私の被造物である万民が今日のように心を変えることができず悟ることができない時、私が彼らを治めるその痛い役事が成り立つので、それを防ごうとし、それを前もって予防しようとすることが私の哀切な意志である。
私が、あなたたちにひざまずいて切に涙で切実に訴えるのである。私の新しい聖書を読んで目覚めて、私の刀で彼らを治めて私の前で私の子が死んで行くそのような前轍を踏まないようにするのだから、これは私の息子イエスがすべてのものを抱いて死んで行く苦痛を眺めるよりも、直接私が刀で切る者と切らない者を選別する心がどんなに痛いのか、私の刀に血をつけなければならないそのような痛みを見なさい。
肉のこの世で子供を切らなければならない親なら果して切ることができるか? その親は子を抱いて終わりまで涙で訴えるのであり、自分の命を代わりに与えるのだから正しくきれいに生きなさい、その犯罪の巣窟で人間に生まれかわることを哀願するのである。それより、千倍も万倍も加えた姿が、今日の私エホバの姿だから、あなたたちはこれをそのまま信じて考えなさい。