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冗談の嘘もつくな(농담의 거짓말도 하지 말라)

1,530番目手紙の中から (2001年 9月 3日 07時)私があなたたちに「冗談の嘘もつくな。」とするのは、小さな冗談の嘘をつき始めれば、嘘をつく習慣が生じてまた嘘をつくようになるからである。だから生きて行きながら真心ではない、いかなる行動も言葉も慎みなさいというのは、それによって習慣になるからである。

人間だけではなくサタンまで感化して救いを受けるように(인간뿐 아니라 사탄들까지 감화시켜 구원받도록)

1,481番目手紙の中から (2001年 8月 8日 07時)この世を浄化して美しいエデンの園にすることは、人のみを悟らせることではない。その数千、数億種類の考えを持った人間の心を一つに治めることも重要だが、それを誹謗して反対し、美しくて善なることを成すことができないようにするすべての魔鬼とサタンまでも、あなたたちのその善で美しい心中の真心を知って、彼らがあなたたちの前へ来て頭を下げて人間とまったく同じく変化する、そのような過程を経験しなければならないのである。そして、あなたたちは前後が異なる行為をしてはだめで、誰かが見ていても見ていなくても行動が正しくなければならならず、若芽がすくすくと伸びるように今日より明日、もっと美しい生活をする、そのような考えをしながら暮さなければならなのである。あなたたちにかかっているのは、人間だけが見て悟ることではなく、サタンや魔鬼もあなたたちが生きて行く..

過ぎ行く歳月は誰も阻むことができない(가는 세월은 누구도 막을 수 없다)

1,45番目手紙の中から (2001年 8月 1日 06時 40分)あなたたちの言葉に「過ぎ行く歳月は誰も阻むことができない。」とあるのである。そうだ。休むことなく流れ行くその歳月を誰も阻む者がいないし、数十億の人口が一つになっても悠悠と流れるその歳月を阻むことができないのである。そのように流れる歳月を阻むことができないように、流れる歳月の中であなたたちは衰退して肉身は一握りの土に帰り、霊は永遠に暮す私の国へ来て審判を受けるのだから、過ぎ行く歳月を阻むことができないように、これは厳然たる事実であり、それを避けることができないのである。しかし、あなたたちは、この厳然たる事実の前に肉身の享楽と肉身の安逸のためにすべてを忘れてしまう愚を犯しているのだから、あなたたちが暮して来た人生に対する審判を必ず受けて、審判を受ける者には天と地があるように、天国・地獄というくびきを脱することができないのだ..

右手のやることを左手に知らせてはならぬ(오른손이 하는 것을 왼손이 모르게)

1,449番目手紙の中から (2001年 7月 30日 09時 30分)教会を建築するのに全財産をすべて捧げて祝福を受けた者と、そのまま平凡に生きて行って祝福を受けて財閥になった人がいるとすると、その割合はどうだろうか? その二人を比べて見る時、信じない者が信じる者よりもっと幸せだということを、あなたたちは悟らなければならないのである。財物を教会というものを建築することに捧げてあなたたちの聖殿に捧げた時、恩恵を受けたとすることを証として、私の民を愚弄し誘導して誘惑するな。「右手のやることを左手に知らせてはならぬ」と教えなさいとしたのに、そのように千回、万回に一回ずつ成り立つ、その人の善良な心に対して私の祝福を受けたことをして、そのように自分の利益のために用いるな。聖書を利用して商売するのと同じである。彼の心が善良だから私が与えたのであって、彼が教会を建てるということにお金を出したからと..

頭髪をそっても(머리를 삭발해도)

1,435番目手紙の中から (2001年 7月 22日)信仰に向かって善良に暮して天に上がろうと頭髪をそって祈祷をし、自分の肉身の一部を切断する決断を下したとしても、その瞬間が過ぎて歳月が過ぎるにつれて、その心が褪せて揺れるのなら、そのような行動がどれほどおかしな状態になるのか?自分の髪を刈らず自分の肉身を切り捨てるそのような行為をしなくても、今日より明日にもっと悟ることがあり、あさってに実践することがもっとあるとすれば、これがまさに天に上がることができる階段を上がることだから、そのように知りなさい。

一つの過ちをした時、十の善行を施して(하나의 잘못을 했을 때 열의 선행을 베풀어)

1,430番目手紙の中から (2001年 7月 20日 0時)人々が言うには、人間だから罪を犯さずにはいられないし、十戒を守って暮すことができないと言うが、そうではないのである。あなたたちは、人間であり考えることができるので、一つの過ちを犯した時、十の善行を施せば、その罪の許しを受けることができるのである。そして、人間として守ることができずに人間だから罪を犯さずに暮すことができないと言う彼らは、努力しない者であり、信仰が何であり私の意志が何なのかを知らない者である。

親兄弟を自分の体のように愛することから(부모 형제를 네 몸처럼 사랑하는 것부터)

1,422番目手紙の中から (2001年 7月 15日)あなたたちは、兄弟と親を自分の体のように愛することから実践しなさい。それを実践した後に、隣人を自分の体のように愛することができるのである。自分自身のみを愛して、自分の兄弟と親も自分の体のように思うことができない者が、隣人を自分の体のように思うということを考えることもできないのだから、まずこの簡単な道理から悟って実行して、あなたたちが盤石の上に立ち上がるそのような美しい姿を、満天下に照らすようにそのようにしなさい。

2部;親兄弟を自分の体のように愛することから( 부모 형제를 네 몸처럼 사랑하는 것부터)

1,422番目手紙の中から(2001年 7月 15日)あなたたちは兄弟と父母を自分の体のように愛することから実践しなさい。それを実践した後に隣人を自分の体のように愛することができるのである。自分自身のみを愛して、自分の兄弟と父母も自分の体のように思うことができない者が隣人を自分の体のように思うということは考えることもできないのだから、

イエス様はどんなに貧しい所でお生まれになられたか(예수는 얼마나 가난한 곳에서 태어났는가)

1,252番目手紙の中から (2001年 3月 3日 10時 40分)私の息子イエスは、あまりにも貧しい所で生まれ、彼がどんなに貧しい者、何ももたない者、可哀相な者たちのために祈られ、彼らのために努力されただろうか?しかし、今の信仰を導く宗教指導者たちの姿勢は、どうだろうか? あなたたちは、どのような理由で貧しくて可哀相な者たちの金貨と銀貨をむやみにに取り入れて聖殿という所を美しく飾って、金と銀の飾りでもっと華麗に、もっと美しく飾ってこそ、私エホバがその所で祈るあなたたちの祈祷の声を聞いてあなたたちが願うことを聞いて、あなたたちが「主イエス様」と呼ぶ私の息子が、またそのように美しくて豪華燦爛たる所で祈って礼拝するあなたたちの願いと所望のみを聞き入れてくださると、そのように罵倒しながら、どのような理由で私の愛する被造物である万民をそんな邪悪な心の方に連れて行くのか?私エホバは、持った者よ..

門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう(두드리면 열릴 것이다)

1,241番目手紙の中から (2001年 3月 1日 06時 50分)聖書に、「門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう、求めよ、さらば与えられん。」と言うことは、ひたすら天に上がる道を言うことである。あなたたちの肉身の願いと富裕栄華のために、あなたたちの生活が楽になるようにと、たたいて私に求める時に開かれるのではない。あなたたちが最終的に望むことは、天国のエデンの園楽園に上がることだから、その楽園に上がる道のために祈って敬拜する、それがまさにあなたたちがたたくことであり、開こうとすることである。そして、求めて得ようとすることが、まさにそれ一つだから、その道は、ただあなたたちが私に祈り敬拜することである。いつも私が存在することを頭の中に忘れずに祈って黙想と敬拜をしなさい。そして、家族といっしょに睦まじい雰囲気で私に祈りなさい。家族と反目して、隣人と反目して、隣人を嫉んで嫉妬して、隣..