utyujinのひとりごと(우주인의 혼자말)

日本語の先生を始める。

utyujin 2024. 2. 3. 19:53
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私は、日本で大学院を卒業し、先生の資格があったので、1990年に教育者のビザを取得して90年後半から、私は日本語学院()で、日本語の先生を始めた。日本語の教材がほとんど無かったので、教材を作ることが1つの仕事であった。塾の生徒は、朝夕は日本の技術を吸収して成功しようと考える中堅の人が多かった。昼間は、学生やおばさん、中にはホテルのカジノやレストランの人、水商売、現地妻と思われる人までいた。みんな日本人がお客さんなのであった。

その後、大きな学院ができるときに呼ばれたので移籍。6階立てのビルの屋上に大きな衛生アンテナが2基あった。1つは英語用、1つは日本語用であった。南部の釜山(プサン)では、日本の放送が受信できるが、ソウルでは、大きなパラボナアンテナがないと受信できなかった。BSニュースを録画して教材を作った。ドラマは、釜山(プサン)で録画して送ってもらっていたようである。

*韓国外国語大学等では、日本から持ち込んでいたようである。教授の権力で不法だけど問題なかったようである。さすが韓国である。