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先にも書いたが、私が先生を始めた頃の日本語の学院(塾)に通う人達は、学生より社会人が多く、日本との仕事などで必要な人が多かったように思う。日本とのビジネスで勝ちたいという熱意が有ったようだ。朝出勤前に勉強してから会社に行く人、仕事が終ってから勉強に来る人が多かった。朝7時から夜の10時まで、授業があったが、昼間は来る人が少ないので暇であった。
先生を始めてから2年ほどして、市内の大きな学院に移籍したが、ここは、完全歩合制なので、生徒が少ないときは、厳しかった。この頃だった思うけれど、英語と日本語の教材を毎日会社などに配布している会社の教材作りのバイトもしていた。私の仕事は、毎週のNHKニュースから話題になりそうなものを選んで、ニュースの録音と聞き取りした内容の原稿を作って、出版社に届ける仕事であった。
この頃は、コンピュータは、日本語のフォントが十分でなく、日本のワープロで仕事をしていたのを思いだす。コンピュータで日本語が自由に使用できるようになるのは、まだしばらく先のことである。
*1998.8.15.アレアハングル97 815国際版(아래아한글97 815국제판)というのが、発売されて初めて日本語と中国語の文書作成ができるようになった。
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