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3,510番目手紙の中から (2002年 9月 25日 13時 28分)
言葉として伝えることは時間が経てば、その言葉が色あせて、自分の考えどおり伝えることができ、自分が誤った判断をして伝えることがあり得、自分の気持ちのままにそれを伝えることがあり得るのである。しかし、私の新しい聖書として、本に作って文章で伝えることは、これを記録して書き取った私の息子も、自分の思うままに直すことができないし、あなたたちが任意にそれを教えるようにして、その教訓を変えることもできないから、このように不変であるものが、まさに私の新しい聖書であることを知らなければならないのである。そして、本として証拠とし根拠とする者が、私の息子であり、私から選ばれた、万民を救う指導者であり、牧者であるということをあなたたちは知らなければならないし、これをあなたたち自ら厳格に区分して目覚めて行く役事を成すように、そのようにしなさい。 |
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