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サムスンが自動車会社を設立

ある時、サムスンが自動車会社を釜山(プサン)に設立するため、サムスンのグループから選ばれた中堅のメンバーを教育するプログラムを担当した。日本から来る日産自動車の指導を受けるため日本語の特訓をするためであるが、ソウルからプサンに出向するのは、大変であり可愛そうに思えた。 1998年から販売が始まった、初代のクルマ(SM5:日本名マキシマ)は、20年以上経った今でも元気に走っているのを良く見かける。韓国製の同年代の車が走っているのを見ることはほとんどないのに、である。 私は、今は日産のアルティマに乗っていますが、その前は、10年ほどSM5に乗っていました。故障も少なく載りやすいくるまであり、エンジンオイルの交換などでたまに修理工場に行くと、こんな車ばかりだと、自分達の仕事がなくなるよと、ぼやいていたものである。 サムスンは、会社の人間はもとより、仕事の関係者まで、SM5の購入を強要したよう..

日本語の先生全盛期  기타니선생의 일본어 단어노트(木谷先生の日本語単語ノート)

1993年になって、英語で有名な学院が、日本語部門を新設するというので、日本人が集められその後8年余りその学院で講師を務めた。ここで、教材も色々と作成し、学生の希望で単語集や日本の歌、アニメのせりふ本も作成したりし、優秀講師の表彰を9回もらった。 この学院で学生の要望で作り始めた単語ノートのプリントが多くたまったので、ソウル大学の教授に紹介で1冊の本にして出版することになった。2001年の8月のことである。 それが,기타니선생의 일본어 단어노트(木谷先生の日本語単語ノート)である。 *このブログで公開しているWORD POWERは、その原稿を基に整理したものである。 生徒の中に、弁理士や弁理士の試験を準備している人達がいた。今はなくったようであるが、当時の弁理士の試験の選択科目に、日本語があったのである。 しばらくして、弁理士さん達は、日本へ出願する明細書の翻訳を依頼してくるようにな..

NHKニュース 教材作り

先にも書いたが、私が先生を始めた頃の日本語の学院(塾)に通う人達は、学生より社会人が多く、日本との仕事などで必要な人が多かったように思う。日本とのビジネスで勝ちたいという熱意が有ったようだ。朝出勤前に勉強してから会社に行く人、仕事が終ってから勉強に来る人が多かった。朝7時から夜の10時まで、授業があったが、昼間は来る人が少ないので暇であった。 先生を始めてから2年ほどして、市内の大きな学院に移籍したが、ここは、完全歩合制なので、生徒が少ないときは、厳しかった。この頃だった思うけれど、英語と日本語の教材を毎日会社などに配布している会社の教材作りのバイトもしていた。私の仕事は、毎週のNHKニュースから話題になりそうなものを選んで、ニュースの録音と聞き取りした内容の原稿を作って、出版社に届ける仕事であった。 この頃は、コンピュータは、日本語のフォントが十分でなく、日本のワープロで仕事をしてい..