白い心(ハヤンマウム) 470

神様の序言

この新しい聖書を読むあなた方すべては、 この律法に基づいて行えば、永遠に救われるのである。 あなたたち人間が、数年、数十年、生涯、 聖書を勉強して祈ることは、 天国の私のそばに来たいという願望であるなら、 何千年も前のあなたたちの人間性と考えが、 今のあなたたちとは、まったく異なるので、 折れて病んでいくあなたたちを修正することができる道は、 今日、私が先知者に下す新しい聖書のように、 あなたたちが、変化することだけである。 私のイエスが生まれたように、 私の息子の先知者を選択して、 私の新しい聖書を全世界に伝えようとするので、 古くなったものは捨てて新しいものを取り、 あなた方のすべては、 「エホバ神様!私の罪をお許し下さい。」 という祈祷文で祈り、罪を悔い改めなさい。 この新しい聖書は、 数千年間伝えられた聖書を要約したものだから、 あなたたちは、この本を精読して、簡単に悟りを得て..

9.救い

▪天使が住んでいる天国には天使だけ行くことができるので、天使のような心を育てなければならない。 - 「天国の鍵をあなたに与えるので、地上で結ばれるものは、天でも結ばれる」とある。この地上で天使のように生活している者が、天でも天使になって天国に入る。すべての人から天使のようだという言葉を聞く生活をしなければならない。 ▪天使のきれいで美しい心は、親を敬い、大人を大人としてもてなすことから育つ。親孝行する者は、兄弟と和睦に過ごすので家庭が和睦になり、隣人と和睦になって、国が和睦になって、全人類が和睦になる。 - そのため、地上の美しい小王国は、家庭から成されなければならない。 ▪選ばれた14万人だけが救われるのではなく、天使のように変わろうとする14万人をもとに、全人類が天使のように生まれ変わる霊的な改革が開始されるのである。 ▪千年にわたって天で行われたように、この世を楽園にして、万民が..

8.イエス

▪イエス様の再臨はない。イエス様がもう一度来られるとしても、果たして誰が彼をイエス様と信じるだろうか?イエス様のような生活の行ないが、まさにイエス様の再臨である。各自みんなが「再臨のイエス様」になる、次元の高い信仰に至らなければならない。 ▪イエス様は、「主よ、主よといわず父の意のままに行いなさい」と言われた。イエス様が伝えられた神様の意志がまさに「道であり、真理であり、命」であり、その教えが、イエス様の血のように貴重なものである。イエス様を信じることは、イエス様の教えを信じて従うことである。 ▪イエス様は低い者として全民族に仕えようとされた。出会うすべての人を、神様だと思いなさい。お金を稼ぐほど謙虚で、高い地位を得るほど低くなりなさい。 ▪イエス様は宗派を作られなかった。人間が作った宗教と人間の教義に従わず、イエス様を通して伝えられた、神様の真理を研究して従ってください。 ▪イエス様..

7.偶像

▪博物館にある仏像は、一つの芸術品である。その彫刻に向かって自分の願いを祈るとき偶像崇拝になる。十字架も、その前で願いを祈れば、偶像崇拝することであり、神様に願いを祈るならば、神様を偶像に転落させることである。 ▪今、祈福信仰に染まっているすべての人が偶像の前でお辞儀をしている。彫刻を偶像であるとして破壊せずに、あなたの心の中にある欲の偶像を壊してしまいなさい。 ▪清水を薬草が吸収すると薬を作り、蛇が飲むと毒を作る。同じ聖書を見ても良い指導者は、信徒を天使にするために活用する。しかし、欲深い指導者は、財物を取り入れ、自分が栄耀栄華を享受するために悪用する。彼がまさに聖書を偶像崇拝の道具に転落させる偽先知者である。 ▪聖書の一画も抜いたり、加えたりしてはならないというのは、その教えを抜き取らないで完全に守りなさいということである。聖書の中で、自分に有利な句節だけを見ることは、自己に不利な..

6.宝物

▪神様は財物ではなく、私たちの心をお受けになる。愛を実践し、天使のように変化した心が神に捧げる宝物である。 ▪目に見えない神様に財物を捧げようとせず、あなたたちを育ててくださった親に小遣いをさしあげ、訪ねて行き、親孝行を尽くしなさい。それが、神様に親孝行することである。 ▪天には善と悪の倉庫がある。自分の倉庫に善が多ければ天国に救われ、悪が多ければ審判を受けて地獄に行く。それがまさに「善を行った者は生命の復活に、悪を行った者は審判の復活に」出てくることである。 ▪「善悪の果を取って食べるな」というのは、良心を守れということである。善と悪を区別できる良心を最初に人間にくださった。善の実は取って、悪の実は捨て、良心に照らして恥じない人生を生きてください。 ▪最も小さな嘘をつかず、最も小さな罪を犯さず、最も小さな善行をして、最も小さな悪行を遠ざけることが、律法の一点一画も欠かさずにすべてを守..

5.十戒

▪十戒は、人間が死んで必ず通過しなければなら十個の関門である。 – 親を敬まわない者は、「あなたの両親を敬え」という第5戒の関門が開かないから救いを受けることができない。 – 殺人、姦淫、嘘、偶像などの残りの戒めも同様である。 ▪十戒は神の直筆である。蚊の音のような神の声でも聞いてみたいと、あちこちさまよわないで、十戒から暗唱して守りなさい。 ▪十戒は、魂を救う糧であり、十戒を守ることが、救いを受ける道である。人間だから守ろうと努力し、また努力すれば守ることができる。 ▪十戒を守って天使のように美しく生きていくその心一つならば、この世の中にで成されないことがない。

4.聖殿とは

▪この世界自体が、神が造られた聖殿である。自然よりも美しい聖殿があるか?目に見える建物が聖殿ではなく、神聖な心構えが聖殿である。 ▪岩の上に教会を建てなさいと言われた。地上の堅い石は、人間が裂くことができるが、心の中の固い決意は、この世の何をしても裂くことができない。正しく堅固な信仰で、聖書の教えを実践することが、心の岩の上に教会を建てることである。 ▪手で造った建物の教会に集まって福音を伝えるのではなく、教会を個人と家庭に植えなければならない。崩れ壊れる建物を建てるのではなく、心の中に永遠に不変の真理の教会を建てなさい。

3.指導者

▪同じように「愛する」と言っても、純粋に言う言葉は天使の言葉であるが、詐欺を働いて財産を盗もうとする言葉は、サタンの言葉である。 - 宗教指導者がいくら立派な説教をしても、信徒の財物を取り入れてもっと大きな教会を建て、自分の栄耀栄華を願って説教すればサタンの教えとなる。 ▪「私たちの教会は満員御礼であり、信仰はすべて同じだから近所の開拓教会に行って礼拝をささげてください。」と言って、近所の教会の復興を第一に考えて、自分の信徒を送る宗教指導者がいれば、彼に従ってください。彼は神の愛を実践する者です。 ▪「金持ちが天国に入ることはラクダが針の穴を通過するよりも難しい」と言われたのに、今の教会では、金持ちになることだけを祈って願うので、これはまさに天国を放棄し、地獄行きの列車のチケットを買うのと同じです。 ▪イエス様は何も持っておられなかった。宗教指導者がイエスよりも豪華で快適に生きていけば..

2.祈り

▪神様は、人間の考えまで、すべてを知り尽くしておられる。私たちの願いも既に知っておられるので、願いの祈りをする必要がない。私たちに受ける資格が備われば、与えてくださる。 ▪罪を犯して、いくら後悔をしても許されない。盗みを働いた者は許してくださいと祈っても、盗まれた者が、泥棒を捕まえてくださいと祈ると、公儀の神様は誰の側に立たれるだろうか? ▪自分が間違ってしたことは、その人に直接償って許しを求めなさい。彼が許せば神様も許される。地上でつなぐことは、天でもつながれ、地上で解かれれば、天でも解かれるという理知である。 ▪「会堂で祈らないで小部屋で祈りなさい」言われた。目に見える小部屋ではなく、小部屋のように静かな心である。雑念を捨てて、神様に向かって心を集中し、愛し、許す美しい思いのみが、出てくるようにしなさい。 ▪「叩けば開かれる。」というのは、肉の願いのために叩きなさいということではな..

1.愛の神様

▪世界を創造された神様は、すべてを愛しておられる。人間だけをこよなく愛するのではなく、宇宙万物をも同じように愛しておられる。だから、神が創造された天地万物と和親し、微物(ごく小さいもの)までも大切に接しなさい。 ▪神様は、特定の宗派や民族だけをさらに愛することはされない。自分だけが救いを受けようとする欲を捨てて、自分の宗派だけが救われるという偏狭な教義から脱却しなければならない。宗派を超えて、すべてを愛しなさい。 ▪敵まで愛しなさいと言われたのに、この世に愛せない者が誰かいるだろうか?宗派が違うとして、親兄弟と敵のように過ごす者は、人間の根本を知らない者である。最も近い家族から愛する時、他人も心から愛することができる。 ▪一人を敵のように考えていた心から愛する心に転換すると、自分自身の心が最も嬉しく幸せである。神様は、人間の心の中に重いものがなく、うれしく、幸せな生活をすることを望んで..