聖書であれ仏教の経典であれ
全ての経典は、一回ずっと目を通してその流れが分かれば
十分であり、その後は、各経典で重視する戒めを
生活の中で実践することが、真の宗教生活です。
愛
全ての宗教で共通して強調することは、「愛」です。
親を尊敬、兄弟の友愛、家族愛、隣人に対する愛などで、
すでに私たちが良く知っていることを、生活の中で実践することが
神様、イエス様、お釈迦様など、
あなたが信じるそのお方が本当に願われる生活であります。
親孝行
父母を愛さない者が、神様、お釈迦様を愛するということは、
偽善であり、欺瞞であります。
人間、この世の小さな父母の愛を知った時、
大きな神様の愛を本当に理解するようになります。
ゆえに、父母に心をつくして孝行することが、
宗教人の基本であり、人間らしい生活の基礎になります。
父母に孝行することから善なる心、愛する心、
寛容な心が芽生え、本当の感謝の心を知るようになります。
人間性の教育が崩れたこの時代の全ての問題は、
父母に孝行する心を育てることから
解決して行くことができます。
善行
父母を愛する心が芽生えた者たちの心の中には、
善良な心が育ちます。
善良な心で生活する中で
最も小さな善良なことを実践することが、天国に積む宝です。
財物を捧げて福を願うことは、祈福信仰です。
10分の1献金
神様は、私たちにこの宇宙万物を贈り物としてくださった。
神様にいただいたものの1/10を献金として捧げるのなら、
宇宙万物の1/10をどこへどのようにして捧げられるのでしょうか?
10分の1献金は、財物を神様に捧げるのではなく、
善良な心、善良な行いを通じて神様に喜びを捧げることです。
1日の生活の中で1/10の時間、1日に1~2時間を
御言葉を読んで実践すること、父母に孝行して、
小さな微笑で隣人に接して、
小さな善行を実践することによって、
本当の10分の1献金を毎日神様に捧げてみましょう。
衣食住
自身と家族の衣食住を自ら解決できない者は、
神様も、お釈迦様も捜し求める資格がありません。
進んで血のにじむような努力をして衣食住を解決する時、
親孝行もすることができ、隣人に施す実践もすることができます。
人間の基本を自ら解決する土台の上で、正しい信仰生活をすることができます。
他人がうらやましくない生活をする人たちは、体が壊れるぐらい仕事をして
堂々と食べて生きることです。祈祷だけして神様を捜し求めても、
食べて生きる道が開けるものではありません。
十戒
特に、神様を信じる者たちが肝に銘じなければならないことは、
「十戒」です。十戒は、私たちがこの世の生活を終えて天国に行く時の
10個の関門です。自分の手で十戒を書いて、机の上や冷蔵庫など、
よく目に付くところに貼って置いて、毎日一つずつ実践してみましょう。
イエス様の行い、お釈迦様の行いを踏襲する生活によって、
毎日少しずつ変化することが救いを受ける道です。
金持ちが天国に入ることは、らくだが針穴を通るよりもっと難しい。というのに、
今の教会では、金持ちになることのみを願って祈祷しているので、
それは、天国を見るより地獄へ行きますというのと同じである。
『主よ、主よ』と言う者が、みな天国に入るのではなく、
天にいますわが父の御旨を行う者だけが、入るのである。と言われたのに、
みんなが、主よ、主よと求めるが、行いが伴っていません。
くどくどと祈るな。髪の毛の数まで全て知っておられる神様は、
お前たちになくてはならないものはすべて知っておられる。と言われたのに、
自分が必要なものをくださいと、くどくどと祈っている。
兄弟に怒る者はみな審判を受ける。
未練なやつだという者は、地獄の火に行く。と言われたのに、
父母兄弟の信仰が異なるからといって、無視し、
教会が優先だといって父母兄弟を怒らせている者は、いませんか?
敵を愛せ。罪に定めるな。と言われたのに、
他の宗派は、異端だ、サタンだという者は、
愛はなく、罪に定め続けることのみをする者である。
偽りの先知者(預言者)は、羊の皮を被って略奪行為をする者。と言われたのに、
宗教指導者という名前の皮を被って、献金という名分によって
信徒の財物を数え切れなく取り込むことが、
まさに、羊の皮を被って略奪行為をすることであり、
彼がまさに偽預言者である。
このようなイエスキリストの教えを、
真っ向から違反する者が、
反キリストである。