白い心(ハヤンマウム)/神様が下さった最後の手紙(하나님이 주신 마지막 편지)

義に飢え渇く人々は、幸いである(의에 주리고 목마른 자는 복이 있나니)

utyujin 2024. 7. 9. 18:25
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7,550番目手紙の中から (2003年 9月 18日 09時 05分)

聖書に「義に飢えかわいている人たちは、幸いである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」としたのである。あなたたちが私エホバの真理であり私の意によって生きて行く時、肉のこの世で疲れてだるくて難しくても、真の真理の道に行く者は恐ろしさがないし恥ずかしさがないのである。真実を持って生きる者は、歳月が経った時その真実は偉大で輝いて、偽りはどんなに派手でも歳月が経てば褪せてそのすべてが背を向けるのだから、真の真理に喉が乾く者のように義を守って生きる時、今日はあなたたちがお腹がすいていても最後に満腹な勝者になるというのだから、他人のための生活であり、お前自身を殺すことであり、「私は死んだ者」という心を持って生きなさいという、私エホバの意志であることを知らなければならないのである。
「心の清い人たちは、幸いである、彼らは神を見るであろう。」としたのである。私があなたたちに何と言ったか? 自分が罪を犯すこと、犯さないこと、善良なこと悪いことはあなたたち自身最も良く知っているのである。あなたたちが悪習を一つ一つ捨てて天使のような心になった時、きれいな白い雪よりももっと白くなった時、私の音声を聞き、私を見ることができ私に触ることができるとしたのだから、まさにあなたたち自身を捨てて生きて行く心でなければ絶対に役事することができないのである。
 「平和をつくり出す人たちは、幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」とするのである。救いの完成が結局、なんだったか?愛である。愛だけがこの世を楽にするから、平和にするそのすべては私の意を行って実践する者たちである。だからあなたたちが私の子と称えることは、当たり前ではないのか? 今選ばれたあなたたちが私の息子、娘であるとするのは、すなわちなんだったか? あなたたちがすぐに愛を実践して行おうとするのだから、他人の醜くて汚いもの、誤ったものは傷だと思って治めてあげて治療してあげるその愛の心を持って、自分自身がすべきことだけ堅固に守って行くことがまさにこの世を平和にするのだから、それが私の息子、娘であるとしたのである。