2024/02/16 15

65 卷 神様のみ言葉

誰のための生活を送ったのか[4,789番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 1日 08時 26分)] モーセは、誰のための生活を送ったのか? 自分自身のための生活ではなく、私の愛するすべての民のために生きたのである。私の息子イエスもその生涯をどのように過ごしたか? 彼が自分自身の好衣好食のために暮したか? 彼も万民のための生活を送ったのである。今日、第3の時代に私の聖霊を受けて記録する私の息子お前も、お前自身のために暮してはならないのである。それでお前を死んだ者だと言い、転がる石であるとしたのである。お前のために暮す生活ではなく、万民のための生活をする私の息子であることを知らなければならないのである。 イエス様の友達[4,844番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 5日 14時 30分)] 君たちは、イエス様の寶血によって救いを受けた民である、そのように言うのである。そ..

63 卷の神様のみ言葉

芥子種、最も小さな善行[4,671番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 25日 0時 37分)] 聖書に、「天国は、一粒のからし種のようなものである。」とあるのである。天国に上がる道はまさしく小さくて些細な善行をすることが重要で、それが天に上がることができる基礎であり基本である。 どんな種より小さな芥子の種でもそれをよく作って育てれば、後には大きな木になるのだから、君たちは最も小さな事を行わないでそれに気付かないまま通り過ぎてはならないのである。 宗派を持つな[4,684番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 25日 09時 05分)] 君たちが宗派に属すれば私のものだけが最高であるという考えのため優越主義におちいって、広い広いこの世のすべての真理、真意を知ることができないのだから、一つのために百を失うそのような愚かな生活を送るようになるのである。自分自身が特別の人間であ..

62 卷 神様のみ言葉

イエス様が宗派なしに独自の道に行ったように[4,584番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 16日 21時 55分)] 私の息子イエスが、その時代の宗派の中で彼らといっしょに歩んだのではなく、私の聖霊として独自の道に行き、宗派なしに一人で万民を導いて目覚めさせて行き、私の聖霊を伝えることにすべてを尽くしたように、再び来る私の息子であり、私の選ばれた牧者は、何も知らない私の民の中から選ばれて、すでにこの世に下っていることを知らなければならないのである。 彼は、君たちが今引き連れている既存の教会、宗教集団に大変化を要求するのであり、大改革の役事を成し始めるのである。そして、この自然の美しい私の聖殿に、ひきがえるの家のように、君たちの手で聖殿を建ててそこでいろいろな悪事を犯し間違っていることをこの世に明らかにするのであり、その場所で「アーメン!」、「ハレルヤ!」と涙して拍手して財物さ..

61 卷の神様のみ言葉

信じます[4,527番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 12日 0時 41分)] 私の息子イエスの名前を呼んで救いを受けたと言う者、私の息子イエスのようにそのように生きて行かない者は、本當に救いを受けることができないことを知りなさい。君たちがとおり過ぎる言葉で私を呼んで「信じる者」です、「信じます。」として答えるそのようなことによっては救いを受けることができないことを知らなければならないのである。 イエス様が生きて行ったそのような生活をしない民は、本當に信仰の道を行くものではではないことを知らなければならないのである。私エホバを信じることもまた同様である。私の民で私の意志どおり生きて行く者のように生きて行かない者は、救いを受けることができないのである。 すなわち、私が下した十戒を守って暮すことを意味するのである。それを守ることができないし私が下した新しい聖書をそのまま守って暮..

60 卷 神様のみ言葉

釈迦とイエス様の断食[4,464番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 8日 09時 07分)] 君たちが私に祈る時、断食というその祈祷に突入することは、清い精神として祈るためだから、生食で小食を取りながら祈ることは當たり前なことであって、ただ飢えて心が迷い乱れた状態でそのようにすることではないのである。 お釈迦様が菩提樹の下で数年ずついたことは、何であると思うのか? 彼はどのように生きて行かなければならないかということを知って、慈悲ということを自ら悟って知ってはいたが、体で実践する事ができなかったのである。 私の息子イエスがその難しくて大変な広野で私に祈って悟りを得ようとしたから、彼も同様だったのである。果して肉を持った形態で私の心性、天使のような心の限界を、人間が果して越えることができるかということを得ようとしたのである。 釈迦は、菩提樹の下で祈りながら慈悲を施しながら暮すこ..