2024/05/13 3

善良な者が誰だったか(선한 자가 누구던가)

836番目手紙の中から (2000年 11月 29日 05時 30分)あなたたちは、「エホバ神様が悪い者と善良な者を区分して、悪い者は捨てて善良な者のみこの世に存在するようにすれば良いのではないか?」という考えをするけれど、果して善良な者が誰だったか? 罪を犯さない者がいれば祈って見なさい、「私は罪を犯さなかったから、この世に私のような者だけが存在するようにしてください。」と祈ることができる者がいれば祈りなさい。彼が本当にそのような者なら私がその場で彼の精神と肉身をそのまますべて天に呼んで取り入れ(天に昇らせ)、肉身自体も後跡なしに取り入れる(天に昇らせる)であろう。しかし、彼がただの一回でも罪を犯したら許すことができないから、それでも私が善良な者であるとする者がいれば、この世に私たちだけが生き残る資格があると言える集団があるだろうか? 本当にそのような集団があれば、その集団をそのまま..

怨讐を愛しなさい(원수를 사랑하라)

786番目手紙の中から (2000年 11月 16日 06時 25分 ) 聖書を通じて言うのは、怨讐までも愛することが愛であるとするのに、あなたたちはどうするのか? 聖殿に集まって一緒に礼拝しながら祈る者に愛するふりをするが、その愛も真実の愛ではなくて肉身の利害関係で互いに助けて協調する者たちのみを愛して分け与えことを実践しようとする心で一杯に満ちているのが今日の現実である。「怨讐を愛しなさい。」とし、それが基本の姿勢だとしたのに、あなたたちは信仰の道を一緒に行かないからと言って彼らを敬遠視し、人間と思わず、異端と思って、彼らを愛する心で包もうとする心の芽もないから、そのような者たちがどうして私のところに上がることができると言うのか?

精神統一(정신 통일)

776番目手紙の中から (2000年 11月 13日 17時 30分)心に1万種類の思いがあれば1万種類の考えどおり行動するようになり、その1万種類すべてに干渉をして行おうとするので、これはすなわち修養されておらず精神統一ができていないのである。そして何かに目覚めて得ようとそれなりに信仰を持って祈祷の生活をし、また僧侶であると言う人々が何かに目覚めて心にある何かを得ようと俗世の縁を切って深い山奥にまたは土窟に入る、これはすべて一つのことである。心を一点に集めなければならないから、鉛筆で付けた点よりも小さく心を集めた時、これが精神統一である。そのように精神統一した一点の心で愛して許す美しい心のみ現れなければならないので、そのような心を持ってこの世を見れば、この世を見る目が開け、あなたたちがどのように生きていかなければならないのであり、どのように暮して来たのか、そしてどのように生きて行くこ..