白い心(ハヤンマウム)/神様が下さった最後の手紙(하나님이 주신 마지막 편지) 359

私がすなわち道であり真理であり命である(내가 곧 길이요 진리요 생명이니)

5,251番目手紙の中から (2003年 2月 28日 0時 45分)私がイエス様を通じて聖書に記録して伝えたのだから、イエス様は、そのように話したのである。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」 そのように記録して置いたのである。これはあなたたちが、イエス様の前に行ってこそイエス様によって救いを受けるというのではなく、イエス様のような生活を送って、彼が暮して来た前轍をそのまま踏んでイエス様のような姿勢で暮すことが、あなたたちが救いを受けて私のところに上がる道であることを表現したものである。イエス様は、私の命を受けてこの世に来たのだから、イエス様のような考えをしてイエス様のような心で生きて行く者だけが、私のところに上がることができるし救いを受けるという、そのような意味であることを知らなければならないのである。イエス様が..

万民がすべて私エホバと一つになると(만백성이 다 나 여호와와 하나가 되어야)

5,250番目手紙の中から (2003年 2月 28日 0時 36分)私から選ばれた私の民であるあなたたちは、私エホバと一つにならなければならないし、また私が創造した万民であるあなたたちが、すべて私と一つにならなければならないということを忘れてはならないのである。そういう生活こそ人間のこの世を超越して、私エホバの国へ来て暮すことである。これがまさにあなたたちが行かなければならない道であり、今、生活の空間を超えて私に来る道に立ち入る生活をしなければならないことを知らなければならないのである。私から選ばれた民であり、私の新しい聖書を読んで目覚めて講論を聞く民、あなたたちはもう人間のこの世に生きるそのような生活ではなく、人間のこの世のその空間を越えて、私エホバが存在する天国のこの世を見ることができなければならないのである。そして、そこで生きる生活をしなければならないのである。あなたたちは、い..

敢えてサタンや魔鬼も近接することができないのである(감히 사탄이나 마귀도 근접하지 못하느니라)

5,211番目手紙の中から (2003年 2月 25日 15時 27分)あなたたちが今生きて行く生活がどんなに誤った道に行っていて、悪い子として悪のどん底に陥って生きて行くとしても 怖がらず恐れるな。あなたたちは変わることができるし、変化して私に帰って来る機会があるのだから、今、挫折するとしても恐ろしがるな。あなたたちは、みんなまったく同じ私が愛する私の息子、娘であるとしたのだから、あなたたちが悔い改めて反省して、そして私が最後の時代に私の聖霊を載せて下す私の新しい聖書を読んで目覚めて、私が成そうとするその意志にしたがって行って暮せば、私エホバはいつもあなたたちを待っているということを忘れてはいけないのである。私は、どのような状況でも、どのような時点でもあなたたちを捨てたり手放すことはないのである。家族単位で祈って、一人で祈って、そして静かに私エホバに来る道が何であるかを、私の聖書を精..

独身主義(독신주의)

5,154番目手紙の中から (2003年 2月 23日 07時 27分)あなたたちは、出家すると言ってさびしい独身の道を行くことが宗教であり信仰の道だというが、それはまず肉のこの世にある親の心を痛める行為だから、そのこと自体過って始めることである。男女が会って家庭を成して子孫を成しながら生きて行くようになっていることを、信仰の道であり宗教指導者の道に行くと言って、家庭を忘れて独身主義で一人で行くことは、家庭を持った人々のその心を知らないのである。家庭を持たない者は、家庭を持って生きて行く人の苦衷と試練を絶対に知ることができないし、その意味を知り得ないのである。夫婦間の愛が何であり、難しくて大変な時に互いに力を合わせて暮すことが何であり、子を愛する親の愛が何なのか、それ自体も知らないのに、宗教指導者の道に行くと言って独身で一人で暮すことは、万民を目覚めさせる指導者として本当に万民といっし..

最後の天国の席を譲歩する者になって(마지막 천국의 자리를 양보하는 자가 되어야)

5,127番目手紙の中から (2003年 2月 22日 0時 19分)天国へ行く席が一つ残った時、最後のその一つでも譲歩する人にならなければならないのである。弟子のあなたたちが、本当にそのような心で生きて行く時、私に来ることができる民であり、私から選ばれた私の息子、娘であり、万民を救うことができる資格があるのである。

死んだ者が声を聞いて墓地から生き返える役事(죽은 자가 음성을 듣고 묘지에서 살아나는 역사)

5,076番目手紙の中から (2003年 2月 19日 09時 12分)「死んだ者たちが、私の声を聞いて生まれ変わって天に持ち上げられる」と言うその意味を、あなたたちは知らないといっても、あなりにも知らないのである。私エホバの意志に逆らって私が行うことにしたがわず、肉の生活で罪を犯して暮すのが、今、生きながら死んだ者である。今、肉のこの世で天使のような生活を暮すことができなくて罪を犯して邪悪な行為をしながら暮す者たちが、まさに死んだ者であり地獄に行きつつある者である。そして、そのような者たちが私の新しい聖書に接して読んで目覚めて、私が下した戒めのとおりに暮そうと努力する心の変化を成して、生活の変化を成して、愛を施しながら生きて行くことが、まさにどういうことか? 肉の地獄のこの世から生きた者に変化することだから、私の声を聞いて私の息子イエスの声を聞くのである。今、私を呼ぶことができる地上..

モーセの奇跡、イエス様の奇跡を受け継ぐ民(모세의 기적, 예수의 기적을 계승하는 백성)

5,075番目手紙の中から (2003年 2月 19日 09時 02分)あなたたちが、私の意志に従順に私の戒めを守って行う時、私からすべての奇跡を成すことができる、そのような役事の中に住むことができるのである。私が下すすべての戒めを守ってそのまま役事する時、あなたたちがそのように渇求した天に上がる道を見ることができ、私の息子イエスが成した奇跡、モーセの時代に成した奇跡をあなたたち自らすべて成すことができ、役事することができるということを知らなければならないのである。私エホバの意志に順従しながら私エホバから下されるすべての遺業を受け継ぐ民は、なんだったか? 私の息子、娘であり、真の私の息子、娘であるあなたたちがそのすべての役事を成す機会を得るようになるのである。あなたたち自らその奇跡をあなたたちのものとして作ることができ、あなたたちの前にその奇跡の役事が成り立ち、その恩恵と栄光を受けるそ..

天にいらっしゃるお前のお父様の息子になるのだから(하늘에 계신 너희 아버지의 아들이 되리니)

5,041番目手紙の中から (2003年 2月 17日 0時 32分)聖書に「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。」そのように記録してあなたたちに目覚めさせた句節があるのである。しかし、今の宗教指導者たちは、そのようなことを行って実践するように教えないで、そのように暮すことが救いの道であると言わないのである。行うことがどんなに重要なことなのかを教えてくれないのである。そして、この句節を口先で暗誦することだけで救いを受けて、すべて役事することのように考えるのである。しかし、行わないことは、どんなことも成すことができないように、行うことなしに言葉として暗誦しながら叫ぶその信仰は、私とは何らの関係もないことを知りなさい。

まず兄弟と和睦した後に私に敬拜しなさい(먼저 형제와 화목한 후에 나에게 경배하라)

5,040番目手紙の中から (2003年 2月 17日 0時 18分)私が聖書に記録して伝えるのは、私に敬拜するために礼物を祭壇に差し上げようとして、あなたたちの兄弟に恨みを与えたことが思い出されたら、先に兄弟のところにいって和睦してその後に敬拜を捧げることが、あなたたちがしなければならない道であるとしたのである。あなたたちが私に祈って敬拜することより、兄弟間の和睦が先であるということを記録して伝えたのである。親を敬って兄弟と睦まじいことよりもっと大切なことはない、私があなたたちにそのように言うのだから、その意味が果してどこにあるか? 私エホバに敬拜しながら、あなたたちがすべて私のために生きて行って、私のために財物を捧げて、親と兄弟よりも私エホバを先に思うそのような信仰に行くなと言うことを、厳格に記録して目覚めさせるのだから、これを通り過ぎる言葉として聞かないで、これを疎かに扱ってはい..

天に上がる燦爛たる光を見るようになるのだから(하늘에 오르는 찬란한 빛을 보게 됨이니)

5,027番目手紙の中から (2003年 2月 16日 07時 31分)私の新しい聖書を胸に抱いて精読してまた精読する時、盤石の上に立って天に上がる燦爛たる光を見るようになるのだから、これは天から下す光を想像するな。あなたたちの心の光である。私の新しい聖書を胸に抱いて精読した時、私エホバが存在することを知って私がすでに下したその意味を知るのだから、あなたたちの胸に燦爛たる光があるようになるのであり、どのように生きなければならないのか、どのように行かなければならないのかを知るのである。