白い心(ハヤンマウム) 470

115 卷の神様のみ言葉

アブラハムの子孫 VS 聖霊で懐任したイエス様[8,455番目神様のみ言葉の中から (2003年 11月 17日 12時)] 君たちは、アブラハムからダビデまで14代が流れ、またダビデからバビロンまで14代が流れたし、バビロンからイエス様が生まれる時までがまた14代であると言って、14代、14代、14代と言いながら不思議に思って、そのような役事の中で私の息子イエスが生まれた、そのうように言うので、14で分けることがどういうことか? ただ、アブラハムからイエス様が生まれるまでそれを40代、50代とすれば良いことを、それを切って14、14としてそれも不思議なことのように作り上げたので、これがまさに聖書を持っていたずらをすることであり、君たち人間の考えでしたことである。 君たちは、ここで結論を下しなさい。今の信仰の道に行く宗教集団の指導者、君たちはそのような子孫が私の息子イエスだと言うのなら..

114 卷の神様のみ言葉

釈迦が誰か[8,369番目神様のみ言葉の中から (2003年 11月 12日 08時 43分)] 釈迦が誰か? 真の真理であり、万民を真の真理の道に目覚めさせて導こうと祈って敬拜したから、彼もまた私を捜したことを君たちは知らなければならないのである。君たちが、ひたすら救世主と言って君たちを救うという私の息子イエスも荒野で祈ってサタンと争って勝ったのだから、それはどういうことか? 彼もまた私エホバを知り私エホバの真理の道を知って、それを万民に目覚めさせるためにその苦しい役事の道を耐えたのではなかったのか? 悟りが高くて真の真理の道に近接して近くに行こうとする者、この世に向かって一点の恥ずかしさもない生活をしようと努力する民はすべて私の息子、娘だから、私の息子、娘が目覚めることのためにどのような道を行っても、その道を行くことが問題になることはないのである。だから、お釈迦様だイエス様だと甲論..

111 卷の神様のみ言葉

捨てなさい、すべてのものをすべてくるみなさい[8,103番目神様のみ言葉の中から (2003年 10月 23日 23時 24分)] 君たちに「捨てなさい。」とするのは、すべてのものをすべてくるみなさいとするのである。くるんで愛ですべてのものをすべてくるんで愛で溶かしてしまったら、それによってすべてを捨てるそのような境地に上がるよりもっと偉大であり、それが私が君たちに願う道であるということを知りなさい。 君たちは、くるむよりもっと偉大なことがないことを知りなさい。君たちが捨てると言って一つずつふたつずつ切り捨ててしまったら、君の周辺に残るものは何があるのか? 君たちが、子が何人かいるのでその子息たちが間違って過ち行くと言って一人ずつ切りはなしてしまったら果して誰が残るのか? 君の周辺に残るものがないし何も役事することがができないのである。その子息たちを私が捨てなさいと言っても捨てるのでは..

110 卷の神様のみ言葉

私エホバの手紙[8,012番目神様のみ言葉の中から (2003年 10月 18日 11時 13分)] この新しい聖書は、私エホバが君たち個人に直接送る手紙だから、そして一卷の新しい聖書に接する者は、私の手紙を受けとる者、私のお祝いの家に参加することができる時間と場所と方法と礼儀作法と、君たちが身に付けなければならないすべてのことをすべてここに記録しておいたから、これを完璧に読んで目覚める者、正しく礼儀作法を守る者、お祝いの場に来て一点の遜色のない民として、その席を守る者になるのだからそのように知りなさい。 すべての民が私の宴に来ることができるように、彼らを招請するのだから、彼らに送る招請状であり、案内状であり、私が懇切に参加して下さいとし、参加する者が備えなければならない礼儀作法であり時間と場所まですべて記録して伝えるのが私の新しい聖書だから、一人もこれに接しない民がいてはならないので..

107 卷の神様のみ言葉

努力して得なさい[7,735番目神様のみ言葉の中から (2003年 10月 1日 12時 23分)] 100という点数が天に上がる道なら、60という点数は肉のこの世で君たちが努力しただけ得て生きて行けるように、私が君たちすべてに与えたのである。だのに、そこからまた小さいこと、大きいことまで私に恩恵、祝福を受けるのであり受けなくてはいけないと言う、そのような今日の信仰から脱しなければならないのである。私は、60点というその中で君たちが生きて行って自分のものとできるようにすべてを与えたのだから、それなら私エホバがこれから君たちに与えることができるもの、残った愛が何かは数学の公式のように答が出ていないか? 私エホバは、地獄と天堂を管理するのであり、審判の決断を下して、君たちが死ぬ、生きるという生死に対することのみに関係するということを知りなさい。肉のこの世の小さいこと、大きいことまで、君たち..

106 卷の神様のみ言葉

家庭礼拝[7,669番目神様のみ言葉の中から (2003年 9月 26日 11時 30分)] 私エホバは、君たちの胸に教会であり聖殿を建てなさいと言ったから、肉で建てる建築物の聖殿を建てないで家庭単位で礼拝をして家族と対話の中に自ら目覚めて変化する道を行くようにし、聖書にそのように記録して伝えたのである。しかし、君たちは私の意に逆らいながら順従しない大きな理由がどこにあり、最も邪悪な病弊の原因がどこにあるのか分かるか? 宗教集団の指導者だと言って、学業を始める時から彼らの夢であり理想は最も大きな教会であり多くの信徒を従えようとすることだから、それが欲心の根であり、もっと大きな教会、もっと美しい教会であり、もっと多くの信徒を従えることが、成功した者だと、評価する者たちだから、それが崩れることが恐ろしくて、私エホバが最も大切にする家庭礼拝が行なわれることを役事することができないようにするの..

104 卷の神様のみ言葉

七回ずつを七十回でも許すこと[7,517番目神様のみ言葉の中から (2003年 9月 15日 21時 17分)] 私が、君たちに君たちの自身のことを考えないで「自分」を捨てなければならないということを聖書にどんなにたくさん記録して伝えたか? 兄弟がお前に間違ったことをした時、果して何回にわたって彼を許さなければならないかと、私の息子イエスに聞いたのである。「七回という数字で許せば良いか?」とイエス様にそのように聞いたのである。しかし、私の息子イエスは何と答えたか? 「七回ではなくて七回ずつを七十回でも許すこと」が、君たちが行かなければならない道であるとしたのだから、果してそのように役事することによって生きて行くことが、自分自身を前に置いて自分を先に考えて生きながら役事することができると思うのか? これからは、私の新しい聖書を読んで目覚めた民であり、私の息子に選ばれた弟子、君たちはこのよ..

102 卷の神様のみ言葉

御言葉が肉身になって[ 7,329番目神様のみ言葉の中から (2003年 8月 30日 11時 43分)] 聖書の「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。」という教えは何なのか? 私の意であり私の「言葉」を理解すること、そして君たちが悟るそのような変化を成すことが、「言葉が人になる」ということであることを知らなければならないのである。君たちが私の意を悟って意味が分かった時、それを悟る者がすなわち御言葉が人になる者だから、肉として人になるのではではないことを知りなさい。私の御言葉によって君たちが人になって形體になって何かが成り立つのではなく、形体があって肉を持った君たちが私エホバ神様の御言葉であり私の意を受け入れてそれを完全に理解して悟った時、君たちが人になって私が君たちと一緒にいるというその意味が分かるか? 私の息子イエスは、何が君たちと違うのか分かるか?私の息子イエスは、私が命じ..

99 卷の神様のみ言葉

真の真理と非真理がぶつかったら[7,137番目神様のみ言葉の中から (2003年 8月14日)] この世のどのような民でも私の新しい聖書一卷を3回以上読む者は、必ず目を開くようになって耳が開かれるのであり、今日どのような形態で何が間違っていて、何がよくできたのかそのすべてを知るようになるのである。これを読む民が数えきれなく増えるのである。そして、私がかつて君たちが本當に勝者だと言ったその言葉を忘れるな。 真の真理をこの世に下したので、それを読んで目覚めた民によって今の宗教指導者たちがこれからは嘲弄にあうのであり、彼らが我慢して耐え難い侮辱にあうようになるのであり、自分達が断罪される日が徐々に近付いていることをサタンであり誤った者たちがすべて知っているのである。そして、彼らは自分たちのすべての能力と力をすべて動員して既存の枠を引っ張っていこうとするのであり、それを破壊する者を異端でありサ..

98 卷の神様のみ言葉

アッ! 神様、これでございます[7,123番目神様のみ言葉の中から (2003年 8月 13日 10時 00分)] 君たちが嘘をつかずに暮すことができないなら、命をかけても嘘をつかない訓練をしてそれ一つだけ守りなさい。そのようにした時、君たちはすべてに目覚めることができ、すべてを悟って十戒程度はお茶一杯飲むより易しく守ることができるという、そのような悟りの変化があるのである。 偽ること、盗みをすること、人を嫉む心、人を陰湿に攻撃する心、君たちの最も悪い悪習一つを、命を懸ける覚悟で直して見なさい。新しい聖書に記録した内容どおり君たちがただ一つだけでも守って行った時、君たちの胸が開かれず、天の光が何か、私エホバが役事しようとすることが何なのか、君の胸に届くものがなくて悟りを得ることができなくて、「アッ! 神様、これでございました。」その言葉が出なかったら、その時になって、君たちが私を恨んで..