白い心(ハヤンマウム) 476

72 卷の神様のみ言葉

すべてのものの上にある教え[5,313番目神様のみ言葉の中から (2003年 3月 3日 16時 40分)] 私が君たちに最初にこの世に送り下したのは、「天に向かって一点の恥ずかしさもない生活をしなさい。」ということだから、それが今の律法よりも上にあり、旧約、新約、十戒、私の新しい聖書そのすべてより上に存在するのである。それよりさらに偉大なものがなく、もっと尊いものがなくもっと大切なものがないのである。それを知って、私を信じて私が存在することを信じて善行を施して暮せば、律法がどうであれ、旧約の句節がどうであれ新約の文字がどうであってその内容がどうであって、そしてイエス様の死がどうであれその苦痛が何であって復活がどうであるということを、甲論乙駁しながら話す価値がないのである。 惨事、果てしなく人間の惨めな現象を見るようになるのだから 5,318番目神様のみ言葉の中から (2003年 3月..

71 卷の神様のみ言葉

万民がすべて私エホバと一つになると[5,250番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 28日 0時 36分)] 正道の道、新しい聖書にしたがって生きる道、そして私の戒めのとおりに生きて行く道は、若い者も老いた者もみんな同様に守って生きて行かなければならないことを忘れてはいけないのである。 君たちが老いたと言って正道の道を生きて行くことにあせる心を持って暮すのではなく、また幼いと言ってただ怠慢に大まかな人生を送って、年を取って年寄りになってから正して救いの道に行くというそのような錯覚の中で生活してはいけないのである。年を取れば年を取ったように正道の道を行かなければならないだけであり、幼ければ幼いように正道の道を行かなければならないだけのことだから、年を取っても若くても正道の道は今からすぐ始めなければならないし、それに合わない生活を送ってはならないのである。 私がすなわち道であり真理..

70 卷 神様のみ言葉

敢えてサタンや魔鬼も近接することができないのである[5,211番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 25日 15時 27分) 君たちが今生きて行く生活がどんなに誤った道に行っていて、悪い子として悪のどん底に陥って生きて行くとしても怖がらず恐れるな。君たちは変わることができるし、変化して私に帰って来る機会があるのだから、今、挫折するとしてもそんなに恐ろしがるな。 君たちは、みんなまったく同じ私が愛する私の息子、娘であるとしたのだから、君たちが悔い改めて反省して、そして私が最後の時代に私の聖霊を載せて下す私の新しい聖書を読んで目覚めて、私が成そうとするその意志にしたがって行って暮せば、私エホバはいつも君たちを待っているということを忘れてはいけないのである。私は、どのような状況でも、どのような時点でも君たちを捨てたり手放すことはないのである。 家族単位で祈って、一人で祈って、そして静..

68 卷の神様のみ言葉

まず兄弟と和睦した後に私に敬拜しなさい[5,040番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 17日 0時 18分)] 私が聖書に記録して伝えるのは、私に敬拜するために礼物を祭壇に捧げようとして、君たちの兄弟に恨みを与えたことが思い出されたら、先に兄弟のところにいって和睦してその後に敬拜を捧げることが、君たちがしなければならない道であるといったのである。君たちが私に祈って敬拜することより、兄弟間の和睦が先であるということを記録して伝えたのである。親を敬って兄弟と睦まじいことよりもっと大切なことはない、私が君たちにそのように言うのだから、その意味が果してどこにあるか? 私エホバに敬拜しながら、君たちがすべて私のために生きて行って、私のために財物を捧げて、親と兄弟よりも私エホバを先に思うそのような信仰に行くなと言うことを、厳格に記録して目覚めさせるのだから、これを通り過ぎる言葉として聞か..

67 卷の神様のみ言葉

天の言語[4,921番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 10日 19時 28分)] この東洋の小さな国の文字と言語は、天国のものであることを悟らなければならず、これは天のものであり、私エホバが主管することだから、これでこの世をすべて統一するということを知らなければならないのである。 この世の言語を一つに統一することは、人間の君たちのものではなく君たちの所有物ではないのです、天国のものであり、私エホバの意志で私が主管する言葉と文字であることを知らなければならないのである。そして、私が今、第3の時代の役事を成して君たちの文字で記録してこの世に「新しい聖書」といって、本にして君たちが天に上がる道に目覚めながら正しい真理を得て私に来ることができるように、そのように役事するのであり、そしてまたこれが最後だから、君たちが役事するのであり二度とこのような事はないのである。 この世に天国の文..

66 卷の神様のみ言葉

私たちが神様の息子と称えられること[4,869番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 6日 10時 37分)] 私が私の息子イエスを通じて聖書に記録して伝えるのは「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」そのように伝えたから、私どもと信仰を一緒に行く者だけが救いを受けて、他の宗教はすべて地獄火に行く異邦人であると言い、兄弟の間でも敬遠視して人間を人間と考えないで、ひたすら自分たちと一緒に行く者だけに人間の待遇をしてあげるそのような信仰を持った者、信じない者と信じる者を厳格に区分をして生きて行く者が、果して和合、平和のための道を行く者なのか? 聖書は、一字でも直してはいけないとしながら[4,913番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 10日 17時 55分)] 聖書を一字でも直してはいけないし一画も直してはいけないと言いながら、その内容を..

65 卷 神様のみ言葉

誰のための生活を送ったのか[4,789番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 1日 08時 26分)] モーセは、誰のための生活を送ったのか? 自分自身のための生活ではなく、私の愛するすべての民のために生きたのである。私の息子イエスもその生涯をどのように過ごしたか? 彼が自分自身の好衣好食のために暮したか? 彼も万民のための生活を送ったのである。今日、第3の時代に私の聖霊を受けて記録する私の息子お前も、お前自身のために暮してはならないのである。それでお前を死んだ者だと言い、転がる石であるとしたのである。お前のために暮す生活ではなく、万民のための生活をする私の息子であることを知らなければならないのである。 イエス様の友達[4,844番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 5日 14時 30分)] 君たちは、イエス様の寶血によって救いを受けた民である、そのように言うのである。そ..

63 卷の神様のみ言葉

芥子種、最も小さな善行[4,671番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 25日 0時 37分)] 聖書に、「天国は、一粒のからし種のようなものである。」とあるのである。天国に上がる道はまさしく小さくて些細な善行をすることが重要で、それが天に上がることができる基礎であり基本である。 どんな種より小さな芥子の種でもそれをよく作って育てれば、後には大きな木になるのだから、君たちは最も小さな事を行わないでそれに気付かないまま通り過ぎてはならないのである。 宗派を持つな[4,684番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 25日 09時 05分)] 君たちが宗派に属すれば私のものだけが最高であるという考えのため優越主義におちいって、広い広いこの世のすべての真理、真意を知ることができないのだから、一つのために百を失うそのような愚かな生活を送るようになるのである。自分自身が特別の人間であ..

62 卷 神様のみ言葉

イエス様が宗派なしに独自の道に行ったように[4,584番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 16日 21時 55分)] 私の息子イエスが、その時代の宗派の中で彼らといっしょに歩んだのではなく、私の聖霊として独自の道に行き、宗派なしに一人で万民を導いて目覚めさせて行き、私の聖霊を伝えることにすべてを尽くしたように、再び来る私の息子であり、私の選ばれた牧者は、何も知らない私の民の中から選ばれて、すでにこの世に下っていることを知らなければならないのである。 彼は、君たちが今引き連れている既存の教会、宗教集団に大変化を要求するのであり、大改革の役事を成し始めるのである。そして、この自然の美しい私の聖殿に、ひきがえるの家のように、君たちの手で聖殿を建ててそこでいろいろな悪事を犯し間違っていることをこの世に明らかにするのであり、その場所で「アーメン!」、「ハレルヤ!」と涙して拍手して財物さ..

61 卷の神様のみ言葉

信じます[4,527番目神様のみ言葉の中から (2003年 1月 12日 0時 41分)] 私の息子イエスの名前を呼んで救いを受けたと言う者、私の息子イエスのようにそのように生きて行かない者は、本當に救いを受けることができないことを知りなさい。君たちがとおり過ぎる言葉で私を呼んで「信じる者」です、「信じます。」として答えるそのようなことによっては救いを受けることができないことを知らなければならないのである。 イエス様が生きて行ったそのような生活をしない民は、本當に信仰の道を行くものではではないことを知らなければならないのである。私エホバを信じることもまた同様である。私の民で私の意志どおり生きて行く者のように生きて行かない者は、救いを受けることができないのである。 すなわち、私が下した十戒を守って暮すことを意味するのである。それを守ることができないし私が下した新しい聖書をそのまま守って暮..