白い心(ハヤンマウム)/神様が下さった最後の手紙(하나님이 주신 마지막 편지) 359

うそをつくな(거짓 하지 말라)

896番目手紙の中から (2000年 12月 12日 10時 30分)十戒に、「汝の隣人に対して偽りの証を立つるなかれ。」としたように、偽りで人を欺瞞することは殺人と同じであり、偽りを行うことができるその心中には邪悪な心が潜んでいるのである。他人に偽りをすることは、単純にあなたたちが何か一つを欺こうとすることではなく、彼を欺く前に邪悪な心で人を憎んで嫉妬し自分の前に大きなものを置こうとする欲心があり、人を欺瞞しようとする心がそこにあるのだから、偽ること自体が邪悪な心であって他人を殺すことよりももっと残酷な心があるのである。その偽りの中には、あらゆるこの世の過ったものがすべて含まれていて、あなたたちが過って暮して善行ができないすべての基礎が、偽りをすることによって成り立つのだから、嘘が悪の根源であると言えるのである。あなたたちの宗教指導者が言わなかったか? 人間だから罪を犯し得、罪を犯し..

隣人を自分の体のように愛しなさい(이웃을 네 몸처럼 사랑하라)

880番目手紙の中から (2000年 12月 8日 22時)私があなたたちに教えてきたのは、「隣人を自分の体のように愛しなさい。」である。しかし、あなたたちが生きて行きながら果してどこまで実践することができるのか? どんなに計画が美しくて考えが美しくてあなたたちが話す言葉自体が美しくて慌惚であっても、自ら実践するにおいてどのように行うのかによってその愛の強度を知るようになるのだから、私の所に上がろうとする万民が生きて行くことは、自ら実践することである。実践しないで口先だけでする愛、施し、許しは、言葉と行動が一致しない時、あなたたち自ら罪を犯すことである。愛を実践することが何なのか分かるか? 施しが何なのか分かるか? 他人に心を空にして愛を実践して施して善行をしながら一点の恥もない生活を営みながら生きて行くという言葉を、むやみに口の外に出してはいけないのである。愛と善行には限りも終りも無..

善良な者が誰だったか(선한 자가 누구던가)

836番目手紙の中から (2000年 11月 29日 05時 30分)あなたたちは、「エホバ神様が悪い者と善良な者を区分して、悪い者は捨てて善良な者のみこの世に存在するようにすれば良いのではないか?」という考えをするけれど、果して善良な者が誰だったか? 罪を犯さない者がいれば祈って見なさい、「私は罪を犯さなかったから、この世に私のような者だけが存在するようにしてください。」と祈ることができる者がいれば祈りなさい。彼が本当にそのような者なら私がその場で彼の精神と肉身をそのまますべて天に呼んで取り入れ(天に昇らせ)、肉身自体も後跡なしに取り入れる(天に昇らせる)であろう。しかし、彼がただの一回でも罪を犯したら許すことができないから、それでも私が善良な者であるとする者がいれば、この世に私たちだけが生き残る資格があると言える集団があるだろうか? 本当にそのような集団があれば、その集団をそのまま..

怨讐を愛しなさい(원수를 사랑하라)

786番目手紙の中から (2000年 11月 16日 06時 25分 ) 聖書を通じて言うのは、怨讐までも愛することが愛であるとするのに、あなたたちはどうするのか? 聖殿に集まって一緒に礼拝しながら祈る者に愛するふりをするが、その愛も真実の愛ではなくて肉身の利害関係で互いに助けて協調する者たちのみを愛して分け与えことを実践しようとする心で一杯に満ちているのが今日の現実である。「怨讐を愛しなさい。」とし、それが基本の姿勢だとしたのに、あなたたちは信仰の道を一緒に行かないからと言って彼らを敬遠視し、人間と思わず、異端と思って、彼らを愛する心で包もうとする心の芽もないから、そのような者たちがどうして私のところに上がることができると言うのか?

精神統一(정신 통일)

776番目手紙の中から (2000年 11月 13日 17時 30分)心に1万種類の思いがあれば1万種類の考えどおり行動するようになり、その1万種類すべてに干渉をして行おうとするので、これはすなわち修養されておらず精神統一ができていないのである。そして何かに目覚めて得ようとそれなりに信仰を持って祈祷の生活をし、また僧侶であると言う人々が何かに目覚めて心にある何かを得ようと俗世の縁を切って深い山奥にまたは土窟に入る、これはすべて一つのことである。心を一点に集めなければならないから、鉛筆で付けた点よりも小さく心を集めた時、これが精神統一である。そのように精神統一した一点の心で愛して許す美しい心のみ現れなければならないので、そのような心を持ってこの世を見れば、この世を見る目が開け、あなたたちがどのように生きていかなければならないのであり、どのように暮して来たのか、そしてどのように生きて行くこ..

イエス様が再臨すれば信じる者がいるだろうか(예수가 재림하면 믿을 자 있는가)

765番目手紙の中から (2000年 11月 10日 07時 15分)聖霊としてイエス様があなたたちの心に再臨すれば良いことを、あなたたちは本当にイエス様が肉身でまた来てあなたたちに奇跡を見せる時だけ信じると言うのか、そしてそのように思うのか?そのように思ったあなたたちもイエス様が再臨して肉身の形態を持って来て奇跡を成して何かを成す時、彼がイエス様であるということを何で証明するというのか?あなたたちは、最後の時代にはサタンの手先であるにせ先知者が来る、にせ預言者が来ると言わなかったか? だから本当のイエス様であると言って奇跡を成す者が現われれば、「これは真のエホバ神様の息子として私たちを救いに来た。」として信じる者が誰かいるだろうか? あなたたちは、彼が来た時に彼をサタン呼ばわりして石を投げつけるであろうし、彼が路傍で血を流して死ぬようにさせるのである。そして再び彼が血を流して死んだ後..

8割を与えたので、2割は人間の努力(8할을 주었으며, 2할은 인간의 노력)

728番目手紙の中から (2000年 10月 28日 07時)あなたたちは私からまったく同じく平等な資格をもらってこの世に生まれ出たのだから、生きながらどのように努力しながら暮すのかによって、千差万別の差が生じるのである。すべてのことをあなたたち自らが作るのであり、自分の価値自体も自らが作るのである。私があなたたちに8割を与えたので、2割は自分の努力によって変化が起き、あなたたちがその2割の範囲でどのように生きて行くのかによってそのように変化が起きるのである。

天使はすべてのものの美しさだけ見る(천사는 모든 것의 아름다움만 본다)

701番目手紙の中から (2000年 10月 18日 19時 10分)天使というのは、この世のすべてのものをすべて美しい点のみを見るのである。私が私の被造物である万民を創造する時、各自生きて行くことができる技術をすべてに与えたように、各自美しい点を一つずつ与えられて各々美しい特性を持ってこの世に生まれたのである。天使になろうとするなら、彼らの美しい部分と彼らだけが持った長所を見られる心がなくてはならないのである。そのような心ですべての私の被造物人間たちを見る時、彼らは今生まれたばかりの赤んぼうのように見えるのである。動く動物や事物もそれなりに生まれつきの長所と美しさがあるから、あなたたちはその美しさと長所を眺めながらそこから私の全知全能であることを感じなければならないのである。毒茸というものにも美しい特性があるから、あなたたちが天使になろうとするならその中に美しい特性を見いだすことを知..

馴らすことにかかっている(길들이기에 달렸다)

671番目手紙の中から (2000年 10月 7日 06時 45分)「癖と習性は、馴らすことにかかっている。」という言葉がある。人が自ら自身をどのように治めて行き、どのように努力してどのように馴らして行くかによって、すべてのことが容易になったり難しくなったりするので、難しい道を容易に行くことができるのは、馴らすことである。眠って起きること、食事すること、行動すること、座って立ち上がるすべてのことはすべて自ら馴らすことにかかっているのだから、あなたたちの心を真っすぐで正しい道に馴らし治めて行くことに、今から目標を立ててそれとともに実行して行きなさい。

他人の食器は大きく見える(남의 밥그릇은 커 보인다)

660番目手紙の中から (2000年 10月 1日 07時)あなたたちの言葉の中に「私の食器は小さくて他人の食器は大きく見える。(隣の花は赤い)」という言葉がある。これはあなたたちの心理がよく表現された言葉である。自分のものは多くても少なくても思い通りに取って活用することができるけれど、それがどのように貴いものであるのかをあなたたちは悟らなければならないのである。どんなに他人の物が派手で良いとしてもそれは私のものに及ばない。それでもあなたたちは自分の物が大切であることを知らずに他人の物を貪ろうとする心理があるから、それがまさに欲心であり利己心でありあなたたちの自尊心と英雄心からそのような行為をするのである。まず自ら正道を行くことを悟って、偽りがなくて正しい道を行って、他人の物を貪らず、他人の物が大きく見えるそのような心を捨てることが心を治める基礎である。