白い心(ハヤンマウム) 470

主人を名将にしたピョンガン王女の知恵(남편을 명장으로 만든 평강 공주의 지혜)

5,656番目手紙の中から (2003年 3月 23日 06時 53分)あなたたちの東洋の小さな国に伝えられてきた美しい話の中に、この世の人々が後ろ指を差す馬鹿「オンダル」に嫁入りした「ピョンガン」王女が、その馬鹿を名将にして国を危機から救ったという話があるではないか? すべての女人が、ピョンガン王女のような知恵を持って家庭を治めて夫を眺めて夫をそのように目覚めさせる時、この世は最も美しくて平和な世になるのである。そこには家庭の安定があり、家庭の和睦があり、そして家庭の衣食住を解決することができ、ピョンガン王女のような心で主人を助ける時、その主人が過ち行く者はいないし、ひにくれる者がいないし、家庭を捨てる者がいないのだから、まず心が穏やかで柔らかい女性、あなたたちがそのような美しい知恵を持って暮すようにしなさい。女人のあなたたちが姿勢を真っ直ぐに正しくして、ひたすらピョンガン王女のよう..

イエス様の孝誠(예수의 효성)

5,603番目手紙の中から (2003年 3月 19日 17時 11分)私の愛するイエス様が死に行きながら何と言ったか? 彼は死に行きながら信頼する彼の弟子を呼んで、彼のお母さんの面倒を見ることを涙の中に頼みながら刑場の露と消えたから、その姿からあなたたちは何を学び、果して何を感じたのか? 私の息子イエスが聖霊として肉の母の身を借りてこの世に生まれたのだから、彼が死の直前に涙で肉のお母さんを頼むその親孝行な心を、あなたたちは垣間見ることができないのである。イエスがお母さんを頼んだように、あなたたちがそのような孝誠で親を尊敬して敬うところから、私エホバに従い敬拜する心が芽生えるのである。親を敬わない心では、イエス様の心を知ることができないし、イエス様の心性に似ていくことができないから、あなたたちがまさにイエス様の行動に従わない者であり、ただ言葉のみで喋り散らす邪悪な宗教指導者に目が眩んで..

大自然をすべて愛する偉大な心で(대자연을 모두 사랑하는 위대한 마음으로)

5,576番目手紙の中から (2003年 3月 18日 12時 42分)すべてを愛する目で眺めて見れば、あなたたち自身も知らずに、胸深く根付いた邪悪な心、妬み、嫉妬、陰湿に攻撃する心を一つ一つ抜いて投げることができる、そのように大自然の懐の中に帰る偉大な役事を成すことができるのである。美しく変われば、ますますもっと美しくなり、悪しく変われば、ますますもっと悪しくなるのがあなたたちだから、大自然をすべて愛するそのような偉大な心を持って生きる時、あなたたちは心の懸念、利己心、そのすべてのものを捨てることができるのである。

新しい戒めを与えたのだから、あなたたちは互いに愛し合いなさい(새 계명을 주노니, 너희는 서로 사랑하라)

5,563番目手紙の中から (2003年 3月 17日 23時 30分) 私が私の息子イエスを通じて聖書に記録してあなたたちに伝えたのは、「新しい戒めをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。」としてあなたたちに下したのである。そして、「私があなたたちを愛するように、あなたたちも互いに愛し合いながら生きなさい。」と、私の息子を通じてあなたたちに悟らせ、伝えたのである。「あなたたちが互いに愛すれば、それによってすべての人があなたたちが私の弟子であることを知るのだから」イエス様がそのように伝えてあなたたちを悟らせてくれたのである。 私の息子イエスを通じてあなたたちに新しい戒めと言って、「互いに愛し合いながら生きなさい。」そのように伝えたのである。そして、私の息子イエスは、互いに愛するそのすべてのことがすなわちあなたたちがイエス様の弟子であるということを証し、互いに愛するのが私の民であるとい..

心中の良心、初心(마음속의 양심, 초심)

5,480番目手紙の中から (2003年 3月 12日 14時 19分)あなたたちが生きて行きながら間違った時、心に良心の呵責を感じないか? それが、私があなたたちに下してあげた初心である。私エホバが存在することを信じても信じなくてもあなたたちの自分の良心を感じること、それがまさに私があなたたちに送った最も偉大な最初の戒めであり、私の聖霊であり、私に対する信仰であり、それが旧約と新約そのすべての上に存在して、最初に先にこの世に下ろした最も重要な律法であり、私の法度であるということを知らなければならないのである。それをあなたたちが完璧に行うことができなかったから、旧約と新約というそのような役事がこの世に成り立ったのだから、この意味を深く悟って暮さなければならないのである。風は見えなくても弛まずに流れ行き、吹いているのである。あなたたちの心中の良心、その初心に戻ることが私エホバのすべてのこ..

すべての事に肯定的な時(모든 일에 긍정적일 때)

5,456番目手紙の中から (2003年 3月 11日 12時 27分)あなたたち自身の肉の生活も大切である。しかし、あなたたちが利己主義で自分のみを愛して自分のみを過剰に保護すれば、この世の美しさを見ることができず、隣人の難しくて大変な苦痛を知ることなしに生きて行くので、あなたたちの心の姿勢が自分も知らずにそのように変わるようになるのである。万民をすべて愛する心に変えることができるのは、あなたたちが自分を愛する心を取り入れる(抑える)ことが重要であることを知らなければならないのである。自分自身を愛さない心でこの世を生きていく時、時には否定的で、許すことができないし受け入れることができなかったこの世のすべての事が、すべて肯定的に見えるようになって、肯定的な心が起きる時、それがすべてのものを愛する心になるのである。あなたたちは、その道のために努力しながら生きて行かなければならないことを知..

70パーセント以上の信徒が疑問を持っているので(70퍼센트 이상의 신도가 의구심을 갖고 있으니)

5,383番目手紙の中から (2003年 3月 7日 13時 12分)あなたたちが考える時は、数千年間流れて来た信仰、その宗派の群れがこの世を支配し、その聖殿の数が数え切れないくらい、この世をすべて支配する、そのように考えるだろうが、そうではないのである。今、信じなくてただ人間らしく生きようとする私の民が数えきれないほど多くあり、また今信仰の道に行く民の70パーセント以上が自分の行く道が真の信仰なのか、本当に天に上がる道か、そして自分達の宗教指導者が教えることが果して正しいのか疑問を持っているので、それほどの多数が今不安に思って情緒不安になっているのである。その宗教指導者、集団等がするその行動を見て、自ら不安と恐怖に陥っている民が数えきれないほど多くいるのである。だから、この世を信仰の道に行く民が統制して支配することのように考えるとしても、実質的にその信仰の道に行く者がそんなに多くはな..

金持ちは天国に入りにくい?(부자는 천국에 들어가기 어렵다?)

5,378番目手紙の中から (2003年 3月 7日 07時 38分)まめで勤勉でつつましさを生活の基にして熱心に生きて行く者、他人に施しながら人を愛して許しながら生きて行くそのような金持ちを、私がどうして憎み、金持ちは敢えて天国へ来ることができないその苦痛の道を経験しなければならないと、そのように言うのか?貧乏が何の自慢になるのか? 怠けて遊蕩した生活で自分の人生を支えることができなくて誤った生活を送って貧しくて難しく生きる者、それの何が自慢であるということなのか? 私エホバの意志どおりに暮して私に順従しながら暮すことが、私に重要なことであるのである。財物を取り入れようとするその巧妙と邪悪な方法で私の被造物である万民を混同させないで、仕事しながら努力する者の邪魔をするな。貧しい者が祝福受けて天国に行くと言って、路宿者で路頭で眠りながら他人に貰い食いして貧しく暮すことを自慢と思うそのよ..

惨事、果てしなく人間の惨めな現象を見るようになるのだから(惨事、果てしなく人間の惨めな現象を見るようになるのだから)

5,318番目手紙の中から (2003年 3月 3日 19時 52分)私があなたたちに基本、良心を守って生きなさいとしたことをあなたたちが守らなくて、この世に恐ろしい災いが続くのだから、あなたたちが防ぐことができないそのような事故が継続して起きるのである。あなたたちが基本の姿勢であり、基本の人性を間違って人間生命の貴重さを知らず、他人の生命がどれほど偉大であるかを知らないので、そのように険悪な事をあなたたち自らが作り、あなたたち自らが墓穴を掘っているのである。そのように難しい試練と苦痛の中で、それでも基本の姿勢、基本の良心を振り返ってみることが、あなたたちの心の姿勢ではなかったのか? それを見て体験しない限り、あなたたちは絶対に自分の過ち行くことを振り返ろうとはしないし、直そうと思わないし、ただ埋めてしまって覆って行くのである。このすべては、宗教指導者たちが私の民を利己主義者にしていま..

すべてのものの上にある教え(모든 것의 위에 있는 가르침)

5,313番目手紙の中から (2003年 3月 3日 16時 40分)私があなたたちに最初にこの世に送り下したのは、「天に向かって一点の恥ずかしさもない生活をしなさい。」とすることだから、それが今の律法よりも上にあり、旧約、新約、十戒、私の新しい聖書そのすべてより上に存在するのである。それよりさらに偉大なものがなく、もっと尊いものがなく、もっと大切なものがないのである。それを知って、私を信じて私が存在することを信じて善行を施して暮せば、律法がどうであれ、旧約の句節がどうであれ新約の文字がどうであってその内容がどうであって、そしてイエス様の死がどうであれ、その苦痛が何であって復活がどうであるということを、甲論乙駁しながら話す価値がないのである。