4,464番目手紙の中から (2003年 1月 8日 09時 07分)あなたたちが私に祈る時、断食というその祈祷に突入することは、清い精神として祈るためだから、生食で小食を取りながら祈ることは当たり前なことであって、ただ飢えて心が迷い乱れた状態でそのようにすることではないのである。あなたたちが断食祈祷をすることは、まさにそのような意味である。「右の頬を打たかれたら、左の頬も打たれなさい。」と言うのは、あなたたちが当然知っているのである。そして「怨讐(敵)を愛しなさい。」とすることもみんな知っているのである。しかし、それを実際に実践してみればそのように行う事ができないのである。どんなに聖人君子で悟った者であっても、人間世俗でぶつかって生きて行きながらそのように行うことができないと思うのではないのか! そのようなことを世俗の縁を切って、見ないで、聞かないで、ただの何時間、何秒でもそのように..