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父からの贈り物

小学校を卒業すると、そのまま同じ地域のマンモス中学校(文の里中学校)に入学した。 1学年に20クラスもあったのである。 私の父は、自分のことを話すのをほとんど聞いたことがなっかた。一緒に出かけたり遊んだ記憶もほとんどない。私の父は、何時も帰宅が遅く酒好きだったので、一緒に遊んだ記憶がほとんど無い。そんな父が、私を中学の近くにあった模型店に私を連れて行って、中学学校の入学祝いだ言って、小さな蒸気機関車の模型を1つ買ってくれた。それは、嬉しかったのだけれど、残りは自分で買えと言われた。HO(16ミリゲージ)という鉄道模型なのであるが、遊ぶには色々なものが必要であったのである。 父がなぜ鉄道模型を買ってくれたのかは不明であるが、家の物置に真鍮製の昔の電気機関車の模型の作りかけがあった。おそらくOゲージ(34ミリ)の模型だろうと思った。父も模型を作り始めたが、当時は多くの部品を工具を使って自作..

幼い頃の思い出

私は、電気技術者であり電力会社に勤めていた父(木谷英一)と師範学校を特進で卒業した母(城悠紀子)の間に、長男として1953.7.28に大阪の柏原市で生まれた。 今も記憶に残っているのは、幼稚園時代からであるが、私が通っていたのは、第二白鳩幼稚園といい、記憶にあるのは、お弁当をストーブで温めて食べていたことと、お昼ねタイムがあったことぐらいである。 小学校は、家から歩いて10分位の距離にあった、柏原東小学校である。学校のすぐ隣にあった文房具店に当時まだ少なかった電気鉛筆削りがあり毎日のように通っていたように思う。普通、鉛筆を削るためには切り出し刀等を使用していて、私は、刃を研ぐことも上手であった。授業が終ると、学校の裏にあった笹薮に入って、研いた刃物で細い竹や笹を切って紙鉄砲を作ったりして遊んでいた。 休み時間には、うんていという遊具にぶら下がったり、棒登りなどを良くしていたので、あだ名..

面白いアルバイトと電気工事士の免許

ビザの延長のために帰国した当時、工事現場のいわゆる土方のバイトは、8千円くらいだったけれど、バイト代も1.2万円ととても良いバイトを見つけた。主に昼間ではなく、夜から朝に掛けての仕事である。西早稲田にあった私がバイトをした会社(三協電気工業株式会社)の現場事務所は、デパートの地下の電気設備の傍らにあった。デパートの電気設備全般の管理をしているのだけれど、バイトの主な仕事は、夕食を終えると其処に集合し、デパートが閉店するのを待つ。閉店すると仕事開始である。主な仕事は、デパートの催し会場の解体と新しい催し会場の設営である。夜のデパートの中を歩くとマネキンの姿がとても不気味であった。真っ暗なデパートの中で催し会場だけがすごい熱気で包まれている。朝10時の開店までに全ての仕事を終えなければならない。夜のデパートがこんなにも忙しいものだとは知らなかった。 最初は、先輩の仕事の補助をしていたけれど..

韓国語の新しい聖書を翻訳

この要約集は、韓国語の新しい聖書を日本語に翻訳したものであり、内容に関心があったり疑問に思われることがあれば、是非韓国語の原文を研究してみてください。 また、ご存じのこととは存じますが、この要約集の内容は、個人の使用には問題がありませんが、無断の転載はできませんので、取り扱いにはご注意してくださいますようにお願いいたします。 より多くの方々に、お読みいたただき、皆様の生活の道しるべになりましたら、とてもうれしく存じます。

再び1卷の神様のみ言葉

全ての地球上の牧師たちよ、聞きなさい[119番目神様のみ言葉の中から (2000年 1月 13日 06時)] 互いに一等になろうと果てしなく前に走るのみでは、どんな結論が出るのか?先に進んだ者も、遅れた者もすべてくたびれて倒れるのだから、科学と言う力を持って、競争また競争をすれば、結論は一つの水泡のような道理を悟ることである。その時は、手におえにくいから、私の災いではなく、人災として君逹が掘った窪みに君逹がはまるのと同じである。これを阻もうと心を空にして、この世のものを空にする人性を教えようとするのである。 君逹が君逹自ら首を締めて行っているので、空気の清さを捜して待避する大変化が生じたら君逹は信じないだろうから、君逹が生きて行くこの地球のありがたさを感じてこの地球の苦痛が何なのか振り返えて見る時間を持つことが、君逹に大切であることを、これからは君たち牧師たちが、人性の治めることが礼拜..

160 卷の神様のみ言葉

160卷をすべて精読した民[12,219番目神様のみ言葉の中から (2004年 7月 16日 06時 04分)] 私の新しい聖書に接しなくては君たちは救いを受けることができないし天に上がることができないと言ったので、君たちは私の息子がうわごとを言いながら話にならない話をすると、そのように言うのである。しかし、愛する私の息子よ、はたしてお前はどのような考えを持っているのか? 「お父様! 私はそのようには思いません。 私どもが正義を尊んで真っ直ぐに生きて行くことは、160卷の新しい本に接したことと同じでございます。必ず読んでそのとおりに生きて行くことだけが接したことではなく、必ず読んでそのまま目覚めることだけが天に上がる道ではなく、見なくても接しなくても新しい聖書にある内容どおりそのように生きて行く民がいたら、彼は160卷をすべて接して精読した人であり、そのすべてが胸にあるそういう人だから..

158 卷 神様のみ言葉

運命を恨まないで[12,067番目神様のみ言葉の中から (2004年 7月 8日 16時 43分)] 君たちは運命にしがみつかず、運命論に浸り込むなと私が命じるのである。君たちが、人生を悲しく暮せば君たちの運命は悲しくなっていくのであり、嬉しく幸せな心で生きて行けば君たちの運命は幸せと喜びを味わいながら生きて行くのではないか? だからすべては、君たち自身にかかっていると言う意味であることを知りなさい。その鍵も、君たちが握っているという意味である。だから君たちの運命の主人は、君たち自身であるということを忘れるな。 私が君たちに話すのだから、持って生まれた運、運命、そのようなもののせいにせず、それを意識するな。占術師、そのような人が、君の名前がどうのこうの、君の持って生まれた運がどうのこうの、顔付きがどうのこうのという、そのようなものに目がくらんで惑わされず、それに関心を持つな。すべてを超..

157卷 神様のみ言葉

善良なけんかで勝者になりなさい[11,972番目神様のみ言葉の中から (2004年 7月 3日 12時 05分)] 知ることができない者、悟ることができない者たちと争って勝って聖霊で生まれかわるようにすることが戰士である君たちがする仕事であり、天の先生がする仕事である。しかし、ただそのようなけんかは悪なるけんかではなく、善良なけんかであり美しいけんかで、すべての結論が出なければならないし、そのようなけんかが成り立たなければならないのである。 これは、天のけんかであり、天使たちがするけんかであり、そして私の息子から命を受けた弟子たち、選ばれた君たちがするけんかだから、これはまさに善なるけんかであるということを知らなければならないのである。そのようなけんかが、肉のけんか、肉の感情によるものは誤ったものだから、聖霊のけんかは、肉、人間の考え、感情を治めて美しくて善なるけんかにしなければならな..

156 卷の神様のみ言葉

私は君たちを愛するお父様だ[11,863番目神様のみ言葉の中から (2004年 6月 28日 07時 12分)] 愛する私の息子、娘たちよ! 私は、君たちを愛するお父様、善良で慈しみ深いお父様、そして優しいお父様であるとそのように思いなさい。そのように君たちが私をとらえれば、私の意志を知り、私が役事することを知ることができるのである。 私は善良で慈しみ深くて、容赦があり、愛を施して、家出をした子を待つ人間の親よりも十倍百倍さらに君たちを待って愛するけれども、どうして私を恐ろしく怖いお父様としてのみそのように照らし、許さないお父様であるとそのようにするのか? 心を閉ざしておけば、私がどんなに聖霊を君たちに送っても君たちが受け入れることができないのである。私を恐ろしいお父様だと君たちが仰ぎ見て考える時、私の聖霊が君たちに臨むことができない、君たちの心が閉ざされているからである。 私は愛する..

155 卷の神様のみ言葉

天の意志の証拠[11,793番目神様のみ言葉の中から (2004年 6月 25日 06時 05分)] 新しい聖書が真の私の聖霊の意志なら、君たちが今まで暮して来た生活で君たちの精神的な面と肉体的な面、そのすべてに変化を体験するようになっているのである。君たちの心が激動して君たちの肉身が激動する、そのような変化を知るようになるのである。それを知る民は、すぐにこれが私エホバの意志であり、天の意志であることを知らなければならないのである。 君たちが変わる激動の音、苦痛の音、そのすべてが君たちが変わる一つの段階、過程である。だから、陣痛と苦痛のその激動の音を君の中で聞いて感じたら、それは君たちがまともに信仰の道を行くことであり、天に向かって今その道に入ったことであり、このすべてが真の真理、私の意志、私エホバが役事することであることを知るであろう。しかし、変化がなく感じることがなく、心と肉の激動..