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アルバイトは、大学の授業より面白い

大学1年(教養部8F44)の時は、松本市の郊外(松本市外本郷村惣社423)にあった農家に下宿した。下宿代が安かったからであるが、後でその理由を知ることになる。 農家のはなれに4人の学生が下宿していた。ある日、夕食時に明日朝6時に起床するように頼まれた。田植えをするというのである。秋には稲刈りもした。稲刈りの終わった日の夕食は、とても豪華だった。おかげて、農家の仕事も一通り学ぶことができた。 農家には、小学生の女の子がいたのだけれど、その娘は、よく宿題をもって私の部屋に来ていた。松本市は、標高600メートルの盆地である、周りを高い山で囲まれていて雪は多くはなく、乾燥して冷え込みが激しかった。地面が凍てつき風が吹くと水道の蛇口に静電気が走った。 ある夜、銭湯に行った帰り道、何やらチャランチャランと音がした。不思議に思って立ち止まると、その音も止まった。氷のお化けでも出てのかと思ったが、下宿..

YMCA予備校

予定通り!予備校の試験を受けて入学し、友達と一緒に皆一生懸命勉強した。夏休みは、中学時代の友達と一緒に、クーラーの効いた大きな図書館の学習ルームに陣取って勉強した。そして、受験シーズンの前に勉強仲間のみんなで、室内スケート場に遊びにいった。アイススケートを楽しみながら、皆が「もうこれ以上滑れない!」といったので、帰ることにした。その後、みんなそれぞれ自分の大学に進学していった。 私は、大阪工業大学の試験に合格し、入学金も払ってあったが。国立大学ニ期校の1つである信州大学繊維学部の試験を受けて(繊維学部の受験番号:T88)合格した。 母親は、家から通える私立の大阪工業大学に通うことを願っていたが、父は、国立大ということで信州大学に通うことを許してくれた。親元を離れて独立したいと願っていた私の夢が叶ったのである。

金魚鉢高校

私が通った阪南高校は、全クラスの教室の両サイドが全面ガラス貼りの校舎であり、窓がなかったので、みんなが金魚鉢と呼んでいた。一様は、進学校であるが、進学のための特別授業などはなく、普通の授業のみであり、大学に進学するには、最初から浪人を覚悟していた。学校までは、最寄の地下鉄の駅からは10分以上かかった。電車が遅れると学校まで猛ダッシュした。担任の先生が乗っていることもあり、その場合は、先生より早く到着すれば問題なかった。机の下に持ってきた弁当を隠しておいて、1間目か2間目には、毎日のように早弁をしていた。授業が始まると学校の門が閉まるので、学校には、売店があったように思うけれど、休憩時間には、多くの者が学校の弊を越えて、門の外のお店で飲み食いしていた。冬の寒い日に氷アイスを食べていたら唇が凍ってアイスにくっついてしまい慌てたことがあった。 学校から駅の中間に公園がありいつも通っていた。こ..

左から読んでも、右から読んでも同じ。

◇.右から読むと、変身します。 오른쪽에서 읽으면 변신합니다. しか(鹿) 사슴 ⇔ かし(菓子)과자 かさ(傘) 우산 ⇔ さか(坂) 고개 いか(烏賊)오징어⇔ かい(貝) 조개 かお(顔) 얼굴 ⇔ おか(岡) 언덕 すな(砂) 모래 ⇔ なす(茄子)가지 かば(河馬)하마 ⇔ ばか(馬鹿)바보 せみ(蝉) 매미 ⇔ みせ(店) 가게 にわ(庭) 정원 ⇔ わに(鰐) 악어 ◇.左から読んでも、右から読んでも同じです。왼쪽에서 읽거나 오른쪽에서 읽어도 동일합니다. みみ (耳) 귀 もも (桃) 복숭아 つつ (筒) 관, 통 はは (母) 어머니 ちち (父) 아버지 こねこ(子猫) 새끼 고양이 きてき(汽笛) 기적 さかさ(逆さ) 거꾸로 しるし(印) 표시 とまと(トマト) 토마토 みなみ(南) 남 やおや(八百屋) 채소 가게 きつつき(啄木鳥) 딱따구리 しんぶ..

RAYMAYのはさみ

中学校の校庭の裏に文房具の倉庫?があった。ある日、ダンボールを開いて文豪具を安売りしていた。 その時、私の目に留まったのが、きれいなハサミであった。中学生には高かったのだが買うことにした。1千円以上したように記憶している。55年過ぎた今も私の横にある代物である。レイメイという名前を思い出したので、調べてみると同様のものが今も同じ程度の価格で販売されいて驚いた。昔の千円と今の千円ではまったく価値が異なるだろうに。。。 自分で少し研いだこともあるが、良いものは、長く使えるものだと感心するのである。

初めてのアルバイト

私が、いろんなアルバイトをするようになったのは、もうお分かりのように、模型を買うためであった。中二の夏休みに、家の向かいにあった鋳物工場のおばさんが、アルバイトをしないかと言ってきた。中学生のアルバイトは、当時認められていたのかどうかわからないが、1日1000円で2週間バイトすることにした。家から自転車で10分の距離にあった新田ゼラチンという会社であった。動物の皮革や骨から抽出したゼラチンを網の上で乾燥させてたものを網から剥がして箱に入れる作業を、おばさんたちと一緒に働いた。剥がれにくい物は、あばさんたちが苦労していたので、良く手伝ってあげた。バイトは、2週間で、最後の日に10日分のバイト代を貰った。給料袋には、12000円入っていて、表には、「一生懸命働いてくれたので、バイト代を1日1200円で計算しました。ご苦労さんでした。」とメモが書いてあり、感動した。これが、私の人生初のアルバ..