一個人がこの世に生まれ出て成長し 今まで暮して来た記録を 映画のフィルムのように万人に放送するとする時、 自分の行動が恥ずかしくなく 堂堂と頭をあげることができる者が どれぐらいいると思うのか? 君たちが死んで私の前に来た時、 多くの天使とサタンが注視する前で 君たちが暮して来た生活の行動と心の考えまでも 映画のフィルムのように見えるのである。 そういう審判の時間があるので 君たち自ら、犯した罪に対して行くべき道を捜して行くのであり、 私が、君たちを審判して行きなさい、来なさいと言うのではない。 386番目の手紙の中から (2000年 6月 7日 20時)