2024/05/26 4

右手のやることを左手に知らせてはならぬ(오른손이 하는 것을 왼손이 모르게)

1,449番目手紙の中から (2001年 7月 30日 09時 30分)教会を建築するのに全財産をすべて捧げて祝福を受けた者と、そのまま平凡に生きて行って祝福を受けて財閥になった人がいるとすると、その割合はどうだろうか? その二人を比べて見る時、信じない者が信じる者よりもっと幸せだということを、あなたたちは悟らなければならないのである。財物を教会というものを建築することに捧げてあなたたちの聖殿に捧げた時、恩恵を受けたとすることを証として、私の民を愚弄し誘導して誘惑するな。「右手のやることを左手に知らせてはならぬ」と教えなさいとしたのに、そのように千回、万回に一回ずつ成り立つ、その人の善良な心に対して私の祝福を受けたことをして、そのように自分の利益のために用いるな。聖書を利用して商売するのと同じである。彼の心が善良だから私が与えたのであって、彼が教会を建てるということにお金を出したからと..

頭髪をそっても(머리를 삭발해도)

1,435番目手紙の中から (2001年 7月 22日)信仰に向かって善良に暮して天に上がろうと頭髪をそって祈祷をし、自分の肉身の一部を切断する決断を下したとしても、その瞬間が過ぎて歳月が過ぎるにつれて、その心が褪せて揺れるのなら、そのような行動がどれほどおかしな状態になるのか?自分の髪を刈らず自分の肉身を切り捨てるそのような行為をしなくても、今日より明日にもっと悟ることがあり、あさってに実践することがもっとあるとすれば、これがまさに天に上がることができる階段を上がることだから、そのように知りなさい。

一つの過ちをした時、十の善行を施して(하나의 잘못을 했을 때 열의 선행을 베풀어)

1,430番目手紙の中から (2001年 7月 20日 0時)人々が言うには、人間だから罪を犯さずにはいられないし、十戒を守って暮すことができないと言うが、そうではないのである。あなたたちは、人間であり考えることができるので、一つの過ちを犯した時、十の善行を施せば、その罪の許しを受けることができるのである。そして、人間として守ることができずに人間だから罪を犯さずに暮すことができないと言う彼らは、努力しない者であり、信仰が何であり私の意志が何なのかを知らない者である。

親兄弟を自分の体のように愛することから(부모 형제를 네 몸처럼 사랑하는 것부터)

1,422番目手紙の中から (2001年 7月 15日)あなたたちは、兄弟と親を自分の体のように愛することから実践しなさい。それを実践した後に、隣人を自分の体のように愛することができるのである。自分自身のみを愛して、自分の兄弟と親も自分の体のように思うことができない者が、隣人を自分の体のように思うということを考えることもできないのだから、まずこの簡単な道理から悟って実行して、あなたたちが盤石の上に立ち上がるそのような美しい姿を、満天下に照らすようにそのようにしなさい。