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79 卷の神様のみ言葉

イエス様が牧師の学校を出たのか[5,824番目神様のみ言葉の中から (2003年 4月 4日 06時 37分)] イエス様が牧師の学校を出たのか、神学校を出たのか? 私から直接に命を受けて彼がこの世に来て伝えたのである。今、160卷の新しい聖書を書いて万民を救おうとする私の息子もまた、彼が神学校という学校に通い、そこで名称を受け、そこで肩書きを受けて教えたのか? 君たちはそのような道理から目覚めて、脱しなければならないことを知りなさい。誰でも私エホバが必要で成そうとすれば、私が彼を呼んで用いるのである。誰でも私エホバの意志にしたがって暮して、生活に忠実であり、要所要所で他人に模範になる生活を送って行く、そのことがまさに伝道であり、私の聖書を教える道であるということを君たちは知らなければならないのである。 私の聖書というのは、制限されたものではなく、その比喩の意味は誰でもが悟ることができ..

アルバイトは、大学の授業より面白い

少し時間が前に戻るが、私は、学生時代から、郵便配達、家庭教師、アンケート調査員等、色々なバイトをしたけれど、多かったのは、いわゆる土方のバイトで、当時高くて6千円ぐらいだったと思う。但し、土方のバイトは、1週間に一度は休まなければならなかったが、ある時、予定の学生が来ず、仕事を頼まれて結局13日間連続して働いたこともあった。当時の私に体重が52キロで、歴代の最高値であり、今も50キロの体重を維持している。私の専門は、繊維工学であるが、バイトを通じて、建物の解体から建設する全ての過程を学ぶことができた。土方のおじさんたちは、口は悪いが、仲間になると良いおじさんたちであった。 大学1年の時は、松本市の郊外にあった農家に下宿していた。下宿代が安かったからであるが、後でその理由を知ることになる。 農家のはなれに4人の学生が下宿していた。ある日、夕食時に明日朝6時に起床するように頼まれた。田植え..

バイト代50万円!

ある年は、日本フィリップスという会社にアルバイトで入社して、年末商戦時に、池袋のさくら屋サンシャイン通り店に販売促進員として送られた。私の担当は、当時流行っていたオイルヒーターで、目標の台数を販売しなければならなった。開店は10時から8時までだったが、出勤から片付けまで、毎日3時間の残業手当が付いた。この時も持ち帰りが多かったので、1日中倉庫と販売フロアーを往復する日々であり、もらったアルバイト料は、50万円を越えてしまった。これは、当時、部長クラスの給料であったように思う。クリスマスに、店のメーバー達とプレゼントの抽選があった。その時抽選でもらったのは、古風な外見の音声時計である。

難しいビザの取得

私が韓国に来た頃は、ビザの取得及び延長が容易ではなかった。当時やっと取得したビザを延長するには、一度国外に出なければならず、2年に一度は、日本に戻らなければならなかった。日本に戻って領事館に延長の申請をしても1ヶ月から1ヶ月半は待たなければならなかった。 その間、アルバイトをしていた。今ではすっかり様変わりしてしまったけれど、当時の秋葉原は電化製品であふれていた、私の仕事は、SANYOの会社から派遣される販売促進応援員であり、主に電子レンジなどを担当した。この時、1ヶ月の販売目標が、400万だったと思うが、それを達成すると賞をもらえるということだった。私は、SANYOの製品を売らなければならないけれど、お客さんの希望の商品を選んであげてメーカーに関係なく販売した。持ち帰りが多く、1日中倉庫と販売フロアーを往復する日々であった。その結果、400万円の販売目標も達成することができた。当時大..

78 卷の神様のみ言葉

汗を流して衣食住を解決しない者、霊と肉が堕落した者[5,748番目神様のみ言葉の中から (2003年 3月 28日 0時 02分) 汗を流して働かないで努力しない者は、私とは関係ない者であることを知らなければならならず、またそのような者は休息という時間を持つ資格もないことを知らなければならないのである。 私エホバは、努力して得て成して行きながら暮すようにすべてのものを準備して君たちに下したのだから、努力しない民は私の意志に逆らうことであり、強盗のように貧乏が君たちも知らぬ間に訪ねてくるから、君たち自ら貧しい生活であり、他人に物乞いする生活であり、他人の機嫌を伺う生活をするようになっているのである。血のにじむ努力をして生きて行って、汗を流して努力することが、私エホバの意志に逆らわないことであることを知らなければならないのである。 努力しない者は、肉だけで堕落した者ではなく、霊的にも堕落し..

77 卷の神様のみ言葉

私の罪を許してください[5,702番目神様のみ言葉の中から (2003年 3月 25日 06時 20分)] 君たちが今まで暮して来ながら知ってか知らずか犯してきたその罪目を一つ一つ取り出して私に許しを請うて見れば、君たち人間の姿勢、人間の価値、君たちが存在する理由、そして君たちがどのような人なのかを自ら裁判して知ることができるから、そのように罪の許し請いながら悔い改める生活をしようと努力する時、以前の罪の恐れを知ってこれから罪を犯さない悟りを得るようになるのである。 モーセが王子として40年を生きて殺人を犯したのだけれど、彼は人殺しをしたくて人殺しをしたのか? そうして彼は廣野で 40年の歳月を暮したのだから、人を殺したことをどんなに後悔して慟哭してそれに対する悔改と反省の涙を流したことか? まさにそれと同じである。君たちが今まで暮して来た間違ったことを悔い改めて、許しを請う中で君たち..

76 卷の神様のみ言葉

主人を名将にしたピョンガン王女の知恵[5,656番目神様のみ言葉の中から (2003年 3月 23日 06時 53分)] 君たちの東洋の小さな国に伝えられてきた美しい話の中に、この世の人々が後ろ指を差す馬鹿「オンダル」に嫁入りした「ピョンガン」王女がその馬鹿を名将にして国を危機から救ったという話があるではないか? すべての女人が、ピョンガン王女のような知恵を持って家庭を治めて夫を眺めて夫をそのように目覚めさせる時、この世は最も美しくて平和な世になるのである。そこには家庭の安定があり、家庭の和睦があり、そして家庭の衣食住を解決することができ、ピョンガン王女のような心で主人を助ける時、その主人が過ち行く者はいないし、ひねくれる者がいないし、家庭を捨てる者がいないのだから、まず心が穏やかで柔らかい女性、君たちがそのような美しい知恵を持って暮すようにしなさい。 女人の君たちが姿勢を真っ直ぐに正..

75 卷の神様のみ言葉

新しい戒めを与えたのだから、君たちは互いに愛し合いなさい 5,563番目神様のみ言葉の中から (2003年 3月 17日 23時 30分) 私の息子イエスを通じて君たちに新しい戒めと言って、「互いに愛し合いながら生きなさい。」そのように伝えたのである。しかし、君たちは、同じ信仰を行く者たちを兄弟・姉妹だとそのように言って、他の民は異端と言って、不信者とはお金の取り引きもしないで、愛も分かたず交際もするなと言って、そのように生きて行くのだから、私が君たちにすべて「互いに愛し合いながら生きなさい。」と下した私の新しい戒めは、どこに流れて行って、その戒めは誰がどこに埋めて置いたのか? 「君たちは、互いに愛し合いなさい。」としたのに、どのような理由でそのように不公平で偏狭な愛によって私の被造物である万民を引き離すのか? それゆえ、宗教集団が間違ってしまったと言うのである。 大自然をすべて愛する..

72 卷の神様のみ言葉

すべてのものの上にある教え[5,313番目神様のみ言葉の中から (2003年 3月 3日 16時 40分)] 私が君たちに最初にこの世に送り下したのは、「天に向かって一点の恥ずかしさもない生活をしなさい。」ということだから、それが今の律法よりも上にあり、旧約、新約、十戒、私の新しい聖書そのすべてより上に存在するのである。それよりさらに偉大なものがなく、もっと尊いものがなくもっと大切なものがないのである。それを知って、私を信じて私が存在することを信じて善行を施して暮せば、律法がどうであれ、旧約の句節がどうであれ新約の文字がどうであってその内容がどうであって、そしてイエス様の死がどうであれその苦痛が何であって復活がどうであるということを、甲論乙駁しながら話す価値がないのである。 惨事、果てしなく人間の惨めな現象を見るようになるのだから 5,318番目神様のみ言葉の中から (2003年 3月..

71 卷の神様のみ言葉

万民がすべて私エホバと一つになると[5,250番目神様のみ言葉の中から (2003年 2月 28日 0時 36分)] 正道の道、新しい聖書にしたがって生きる道、そして私の戒めのとおりに生きて行く道は、若い者も老いた者もみんな同様に守って生きて行かなければならないことを忘れてはいけないのである。 君たちが老いたと言って正道の道を生きて行くことにあせる心を持って暮すのではなく、また幼いと言ってただ怠慢に大まかな人生を送って、年を取って年寄りになってから正して救いの道に行くというそのような錯覚の中で生活してはいけないのである。年を取れば年を取ったように正道の道を行かなければならないだけであり、幼ければ幼いように正道の道を行かなければならないだけのことだから、年を取っても若くても正道の道は今からすぐ始めなければならないし、それに合わない生活を送ってはならないのである。 私がすなわち道であり真理..