2024/06/19 13

秋収(秋の取り入れ)の時代(추수의 시대)

3,517番目手紙の中から (2002年 9月 25日 15時 03分)あなたたちが一つの穀物を育てるのに、春に農夫が種子を蒔いて、その種子が芽を出すようによく管理して盛夏を過ごすようになるのである。そのような盛夏を経て秋になってその穀物が実るのだから、その熟した穀物を取り入れることを「秋収(秋の取り入れ)」と言わないのか?まさに私エホバが秋の取り入れをする時代が、今この時点であることを知らなければならないのである。その穀物を取り入れて一穀(混じり物がない穀類)と中身のないもの(殻)を選別しようとして、私の新しい聖書をこの世に下してそれを選びだすのだから、これを読んで目覚める者は、一穀として私に用いられるのであり、そうではない者は、中身のないものとして飛んでいくである。今私が一穀を選んで、私の倉庫に一杯積んでおこうとするのである。それはどうしてなのか? 一杯積んでおくことで春にまた新芽..

十字架の偶像(십자가의 우상)

3,456番目手紙の中から (2002年 9月 21日 11時 12分)「偶像に仕えるな。」と言ったのである。偶像とは、なんだったか? 形体や何かの模型を作っておいて、その所にお辞儀をして願いを祈りながら祈るとすると、それがまさに偶像でなくてなんなのか?エホバ私を敬拜して私の息子イエスの寶血によって救いを受けたと言って、あなたたちの手で建てたその聖殿へ行って祈って敬拜するあなたたちは、髪を刈って仏道に専念する佛教徒たちが作っておいたものは偶像であると言って、巫子や雑神に仕える者たちや占い師たちが作っておいて形態を描いておいたものはすべて偶像であると言いながら、あなたたちの作ったものは偶像ではなくて偶像を崇拝するのではないと、そのように錯覚するのだから、どうしてそのようなことをしながらあなたたちのその口で、私エホバを公義の神様と言いながら、私エホバの名前を恐れ多くも探し求めることができる..

肉は魂を救うための修行の場(육은 영혼을 구원하기 위한 수행의 장)

3,416番目手紙の中から (2002年 9月 18日 16時 37分)肉の生活は、何なのか? あなたたちの魂のための修行の場であることを知らなければならないのである。魂を救うための肉の修行の場を、今あなたたちが生きて行っていることを認識しなければならないのである。そこで真っ直ぐに生きる者だけが、救いを受けることができるということを忘れてはいけないのである。今の宗教指導者たちが、何と言うのか? 肉の行いは何でもないです、霊的な信仰として救いを受けるのであると言うので、そのように言う者は、財物を取り入れる行為をしてはいけないのである。それはまさに肉から捧げる財物であり、肉から取り入れることだから、あなたたちが信仰の道であり私の意志と私の聖霊の教えることをそのまま伝えるそのような状態に変化しなかったなら、あなたたちは一つの口で二つのことを言う二枚舌の悪賢い者たちになることを知りなさい。あな..