2024/06/26 15

私が出会った新しい聖書(2024.5.20.)

私は、宇宙人である。木谷英章(韓国居住)私と新しい聖書との出会いを話すためには、神様の予定から話さなければならない。私が、聖書と言うものに出会ったきっかけは、親元を離れて独立しょうとして地方の国立大学に入学したことから始まる。大学の入学式の日にもらった一枚のパンフレットに「神様の国を作る」と書いてあったのである。大学が始まって少し落ち着いたころ、神様の国を作ることに自分も参加したいと思って、パンフレットに書かれた場所を自分から訪問した。その後、大学生活をしながらその団体の活動にも参加した。その団体に集まった学生の多くは、大学の勉強はせずに団体の活動ばかりしている者もいたが、私はあえて学業と活動の両立をしようと苦労した。私の生き方は、楽な道と、難しい道があれば、何時も難しい道を選択し、楽な道には行かないと決めていた。大学を無事に卒業し、大学院も卒業した。 そして、大きな企業に就職し、3年..

天にいらっしゃるお前のお父様の息子になるのだから(하늘에 계신 너희 아버지의 아들이 되리니)

5,041番目手紙の中から (2003年 2月 17日 0時 32分)聖書に「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。」そのように記録してあなたたちに目覚めさせた句節があるのである。しかし、今の宗教指導者たちは、そのようなことを行って実践するように教えないで、そのように暮すことが救いの道であると言わないのである。行うことがどんなに重要なことなのかを教えてくれないのである。そして、この句節を口先で暗誦することだけで救いを受けて、すべて役事することのように考えるのである。しかし、行わないことは、どんなことも成すことができないように、行うことなしに言葉として暗誦しながら叫ぶその信仰は、私とは何らの関係もないことを知りなさい。

まず兄弟と和睦した後に私に敬拜しなさい(먼저 형제와 화목한 후에 나에게 경배하라)

5,040番目手紙の中から (2003年 2月 17日 0時 18分)私が聖書に記録して伝えるのは、私に敬拜するために礼物を祭壇に差し上げようとして、あなたたちの兄弟に恨みを与えたことが思い出されたら、先に兄弟のところにいって和睦してその後に敬拜を捧げることが、あなたたちがしなければならない道であるとしたのである。あなたたちが私に祈って敬拜することより、兄弟間の和睦が先であるということを記録して伝えたのである。親を敬って兄弟と睦まじいことよりもっと大切なことはない、私があなたたちにそのように言うのだから、その意味が果してどこにあるか? 私エホバに敬拜しながら、あなたたちがすべて私のために生きて行って、私のために財物を捧げて、親と兄弟よりも私エホバを先に思うそのような信仰に行くなと言うことを、厳格に記録して目覚めさせるのだから、これを通り過ぎる言葉として聞かないで、これを疎かに扱ってはい..

天に上がる燦爛たる光を見るようになるのだから(하늘에 오르는 찬란한 빛을 보게 됨이니)

5,027番目手紙の中から (2003年 2月 16日 07時 31分)私の新しい聖書を胸に抱いて精読してまた精読する時、盤石の上に立って天に上がる燦爛たる光を見るようになるのだから、これは天から下す光を想像するな。あなたたちの心の光である。私の新しい聖書を胸に抱いて精読した時、私エホバが存在することを知って私がすでに下したその意味を知るのだから、あなたたちの胸に燦爛たる光があるようになるのであり、どのように生きなければならないのか、どのように行かなければならないのかを知るのである。

私がいつも彼の喜ぶ事を行うことによって(내가 항상 그의 기뻐하시는 일을 행하므로)

4,947番目手紙の中から (2003年 2月 12日 8時 33分)聖書にイエス様が「わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになさることはない。」そのように話したのだから、あなたたちはこのような聖書の句節を読みながら何を思うか?私の息子イエスは、私の意によって役事するためにいつも祈り、私の息子イエスも私が望むその道を行かなかった時、私が彼を捨てることがあり得、彼を去ることがあり得ると言うことがここに記録されていなかったか?私エホバが喜ぶ事を行うことによって、私がイエス様と一緒にいるとしたのである。私の被造物である万民のあなたたちは、誰でもすべて私の意志どおり行って従順に生活すれば、私があなたたちといつも一緒にいることができるということである。そうだから私の意志どおりに暮す民は、救いを受けた者、..

天の言語(하늘의 언어)

4,921番目手紙の中から (2003年 2月 10日 19時 28分)この東洋の小さな国の文字と言語は、天国のものであることを悟らなければならず、これは天のものであり、私エホバが主管することだから、これでこの世をすべて統一するということを知らなければならないのである。この世の言語を一つに統一することは、人間のあなたたちのものではなくあなたたちの所有物ではなく、天国のものであり、私エホバの意志で私が主管する言葉と文字であることを知らなければならないのである。そして、私が今、第3の時代の役事を成してあなたたちの文字で記録してこの世に「新しい聖書」といって、本にしてあなたたちが天に上がる道に目覚めながら正しい真理を得て私に来ることができるように、そのように役事するのであり、そしてまたこれが最後だから、あなたたちが役事するのであり二度とこのような事はないのである。この世に天国の文字であり言語..

私のお父様の意志どおり行う者こそ入って行くのである(내 아버지의 뜻대로 행하는 자라야 들어가리라)

4,913番目手紙の中から (2003年 2月 10日 17時 55分)聖書に「『主よ、主よ』と言う者が、みな天国に入るのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、入るのである。」そのように記録して伝えたのだから、あなたたちは果して聖書のこの1行を読んで何を感じて何を悟るのか?すべての役事は、創造主である私エホバの命令によって行われて役事されたことを、イエス様は、ここに記録してあなたたちを目覚めさせようとしたのに、聖書を一字でも直してはいけないし一画も直してはいけないと言いながら、その内容をそのまま聞いて学ぼうとはせず、聞き流せばどうするのか?あなたたちがどんなに聖書を正しく記録したところで何の意味があり、一字を抜かなければどうであり、一つの画を直さなければ何とするのか? あなたたちがどんなにそのように叫んでも、私が聖書に記録して行いなさいと言ったことをそのまま実践して行わ..

私たちが神様の息子と称えられること(저희가 하나님의 아들이라 일컬음을 받을 것이요)

4,869番目手紙の中から (2003年 2月 6日 10時 37分)私が私の息子イエスを通じて聖書に記録して伝えるのは「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」そのように伝えたから、この山場(肝心なところ)は、あなたたちのために私が下したものであることを知らなければならないのである。財物を掻き寄せて大きな聖殿を作るために信仰の道を行くことは、反目して不和の兆しを持つことであり、私どもと信仰を一緒に行く者だけが救いを受けて、他の宗教はすべて地獄火に行く異邦人であると言い、兄弟の間でも敬遠視して人間を人間と考えないで、ひたすら自分たちと一緒に行く者だけに人間の待遇をしてあげるそのような信仰を持った者、信じない者と信じる者を厳格に区分をして生きて行く者が、果して和合、平和のための道を行く者なのか?すべてを愛して惜しみなさい、あなたたちの体のように愛しなさ..

イエス様の友達(예수의 친구)

4,844番目手紙の中から (2003年 2月 5日 14時 30分)あなたたちは、イエス様の寶血によって救いを受けた民である、そのように言うのである。それでいながらどのような理由で、私の息子イエスが伝えたその意志は守らないのか? 聖書に私の息子がそのように伝えたのである。イエス様が行ったことをまったく同じに行う民は、すべて彼の友達だと言うのである。そして兄弟のような者だと言うのである。私があなたたちに伝えたように、イエス様は師匠でもなく、信徒でもない、イエス様が伝えた私エホバの意志をそのまま行う者は、イエス様の友達であるとそのように言ったのである。あなたたちは、そのようにイエス様が行ったことにしたがって、イエス様が成そうとしたそのことを信じてしたがうことが、あなたたちがしなければならない道であるのに、どのような理由でそのような行いはしないで、ただ救いを受けたとそのように言うのか?

誰のための生活を送ったのか(누구를 위한 삶을 살았던가)

4,789番目手紙の中から (2003年 2月 1日 08時 26分)愛する私の息子よ!「はい、お父様! おっしゃってください。」モーセは、誰のための生活を送ったのか? 自分自身のための生活ではなく、私の愛するすべての民のために生きたのである。私の息子イエスもその生涯をどのように過ごしたか? 彼が自分自身の好衣好食のために暮したか? 彼も万民のための生活を送ったのである。今日、第3の時代に私の聖霊を受けて記録する私の息子お前も、お前自身のために暮してはならないのである。それでお前を死んだ者だと言いい、転がる石であるとしたのである。お前のために暮す生活ではなく、万民のための生活をする私の息子であることを知らなければならないのである。それなら、万民のために暮すお前の生活は果してどのようにしなければならないか? あなたは自分の基準で自分の考えによってすべてを行い、暮してはいけないことを知らな..