白い心(ハヤンマウム)/神様が下さった最後の手紙(하나님이 주신 마지막 편지) 365

努力して得なさい(노력하여 얻으라)

7,736番目手紙の中から (2003年 10月 1日 12時 23分)100という点数が天に上がる道なら、60という点数は肉のこの世であなたたちが努力しただけ得て生きて行くように、私があなたたちすべてに与えたのである。だのに、そこからまた小さいこと、大きいことまで私に恩恵、祝福を受けるのであり受けなくてはいけないと言う、そのような今日の信仰から脱しなければならないのである。私は、60点というその中であなたたちが生きて行って取れるようにすべてを与えたのだから、それなら私エホバがこれからあなたたちに与えることができるもの、残った愛が何かは数学の公式のように答が出ていないか? 私エホバは、地獄と天堂を管理するのであり、審判の決断を下して、あなたたちが死ぬ、生きるという生死に対することのみに関係するということを知りなさい。肉のこの世の小さいこと、大きいことまで、あなたたちに成してあげて泣き叫..

家庭礼拝(가정 예배)

7,670番目手紙の中から (2003年 9月 26日 11時 30分)自分の短所と弱点を自分よりもっとよく知る者はいないのだから、それを自ら治めて直して行きながらそのように目覚めた時、あなたたちの胸に教会が設立されるのだから、そこには聖霊が臨むのである。そして、そのような民が家庭礼拝として腰を据えて根を下ろしながら私の被造物である万民が救いを受けるように教えて役事することが、私エホバの意志であることを知らなければならないのである。私エホバは、あなたたちの胸に教会であり聖殿を建てなさいと言ったから、肉で建てる建築物の聖殿を建てないで家庭単位で礼拝をして家族と対話の中に自ら目覚めて変化する道を行くようにし、聖書にそのように記録して伝えたのである。しかし、あなたたちは私の意に逆らいながら順従しない大きな理由がどこにあり、最も邪悪な病弊の原因がどこにあるのか分かるか? 宗教集団の指導者だと言..

天国の役事は、すでに地上で(하늘나라의 역사는 이미 지상에서)

7,617番目手紙の中から (2003年 9月 22日 12時 14分)これからは、天国のそのすべてが地上に下っていることを知りなさい。私の新しい聖書がこの世に下されたのだから、天国の役事は地上ですでに実現していて、成り立っているという事実を知らなければならないのである。160卷の新しい聖書がこの世に役事する時、すべての天の法度が地上に降りてくるのだから、地上で救いを受ける者と救いを受けることができない者を分類する審判台の延長線上に、すでに臨んでいるということをあなたたちは悟らなければならないのである。だから、今160卷がこの世にすべて伝わる時、私の新しい聖書を読んで目覚める民であり、私の息子にしたがう弟子、あなたたちは死んで審判台に立って地獄と天国に分類されるのではなく、この世ですでに地獄と天国が分離して行くのだから、天国に至る者は私の新しい聖書どおり生きる者であり、悟りのとおりに生..

天の法典(하늘의 법전)

7,603番目手紙の中から (2003年 9月 21日 12時 17分)今下す160卷の新しい聖書であり、私の聖霊を載せてこの世に下ろす大役事であり、これが審判の基準であるとしたのである。あなたたちがこの世に生きて行きながら間違ったこと、良くしたことを治めるのは何なのか? 法の枠で「法典」というその本を根拠に裁判して罰で治め、それによってすべての対価を支払わすのではないのか? 私が私のこの新しい聖書を何だと名づけたか? まさに「法典」としたのだから、人間この世の法典ではなく、天の法典であり、天の意志の法典である。だから、この法典に記録されたこと以外は、正道ではなく、真の真理ではなく、天に上がる道ではなく、あなたたちが是是非非することができるものではないのである。私の法典に記録されていないこと、それに違背するそのすべては私の意ではなく、あなたたちが役事してはいけないということを信じなけれ..

義に飢え渇く人々は、幸いである(의에 주리고 목마른 자는 복이 있나니)

7,550番目手紙の中から (2003年 9月 18日 09時 05分)聖書に「義に飢えかわいている人たちは、幸いである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」としたのである。あなたたちが私エホバの真理であり私の意によって生きて行く時、肉のこの世で疲れてだるくて難しくても、真の真理の道に行く者は恐ろしさがないし恥ずかしさがないのである。真実を持って生きる者は、歳月が経った時その真実は偉大で輝いて、偽りはどんなに派手でも歳月が経てば褪せてそのすべてが背を向けるのだから、真の真理に喉が乾く者のように義を守って生きる時、今日はあなたたちがお腹がすいていても最後に満腹な勝者になるというのだから、他人のための生活であり、お前自身を殺すことであり、「私は死んだ者」という心を持って生きなさいという、私エホバの意志であることを知らなければならないのである。「心の清い人たちは、幸いである、彼らは神を見る..

七回ずつを七十回でも許すこと(일곱 번씩을 일흔 번이라도 용서하는 것)

7,517番目手紙の中から (2003年 9月 15日 21時 17分)私が、あなたたちにあなたたちの自身のことを考えないで「自分」を捨てなければならないということを聖書にどんなにたくさん記録して伝えたか? 兄弟がお前に間違ったことをした時、果して何回にわたって彼を許さなければならないかと、私の息子イエスに聞いたのである。「七回という数字で許せば良いか?」とイエス様にそのように聞いたのである。しかし、私の息子イエスは何と答えたか? 「七回ではなくて七回ずつを七十回でも許すこと」が、あなたたちが行かなければならない道であるとしたのだから、果してそのように役事することによって生きて行くことが、自分自身を前に置いて自分を先に考えて生きながら役事することができると思うのか?これからは、私の新しい聖書を読んで目覚めた民であり、私の息子に選ばれた弟子、あなたたちはこのようなすべての聖書の句節を一つ..

高くなるほど謙遜な生活を(높을수록 겸손한 삶을)

7,501番目手紙の中から (2003年 9月 14日 07時 19分)人間この世に生きて行きながら組織の団体であり上司が自分の不快感から一日中険悪な表情をしていたら、一緒に働くすべての部下は自然にいら立ち心が穏やかでなく、一日の生活を苦痛の中で生きて行くのではないのか? 権力ある者、持った者がすべて施して愛で治めて行けば、そのすべての雰囲気は和気あいあいになり、彼らは何かの事が近づいた時、命をかけてすべてを役事するそのような変化を成すことができるのである。だから、信仰の道に行く者、私の息子にしたがう弟子、あなたたちもそうである。能力がある者、持った者、悟った者が心を空にして、自分の前に大きな食器をおこうとせず、自分が優先であり自分を先に思うそのような心を持ってはいけないのである。そのようにした時、私の聖殿で私の新しい聖書を作って万民を救う時に選ばれた彼らに幸せ、楽しみ、一日の生活を楽..

愛玩動物(애완동물)

7,435番目手紙の中から (2003年 9月 6日 11時 07分)私の被造物である万民が、言葉も話せずただ与えるとおりそぶりとして尾を振る動物に情を与えてそれをもっと信じて、それを自分の親よりもっと愛して、私の兄弟、妻、主人、子供よりももっと大切に惜しむそのような状態になったのである。これは、あなたたちの心が索漠となって、あなたたちがこの世に信じる者がなく、この世に誰にも心を与えることができないのが人間対人間という考えによって最悪に堕落して、あなたたちの心が荒廃したその証拠ではないのか? だから、それを眺める私エホバの心が果してどうだろうか?

本当に私エホバ自体になることができないから(정녕 나 여호와 자체가 될 수 없으니)

7,413番目手紙の中から (2003年 9月 4日 15時 26分)あなたたちの個人が一つの肉身として存在するのだから、その中にどれだけ多くの細胞が属しているか? その細胞一つ一つが存在してあなたたちの肉身が成り立ち、その肉身の中に細胞が存在するのである。しかし、一つの細胞が独断的に自分のみ永遠に存在して自分のみ特別であると、そのように言えるか? その細胞といっしょに数え切れなく多くの細胞が存在して一つの人間の形態が成り立つのだから、あなたたちが悟って私の意でありイエス様の意志どおり生きる者は、まさに私が成す全体の中に一つの細胞のようにその位置を守って役事するのであって、この世を管理してこの世を創造してすべてを主管する私エホバとまったく同じ能力を発揮して役事するのではないことを知らなければならないのである。あなたたちは、本当に私エホバ自体になることができないのである。私の息子イエスも..

右側にいるイエス様と何が違うのか(우편에 있는 예수와 무엇이 다르겠느냐)

7,411番目手紙の中から (2003年 9月 4日 15時 09分)イエス様が役事したことをそのまましたがって行ったら、イエス様と違うことが何があるか? だからイエス様が行おうとしたその役事をそのまますれば、あなたたちはすなわちイエス様と一つになるのではないか? 私が私の息子イエスと一緒にいるのだから、あなたたちがイエス様と一つになるそのような役事を成した時、本当にあなたたちが私といっしょに一つになって、あなたたちは永遠に私をお父様と呼ぶことができるのだから、私の右側に座っている私の息子イエスと何が違うのか?私の息子イエスが福音を伝えて役事しようとしたこと、行おうとしたこと、その教えをそのまま行うことだけがあなたたちがイエス様と一つになって私エホバと一つに一致するのだから、あなたたちが私の分身であり私を永遠にお父様と呼ぶことができる資格を得るようになるのである。