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129 卷の神様のみ言葉

主の祈り[9,584番目神様のみ言葉の中から (2004年 2月 11日 20時 51分)] 私が私の息子イエスを通じて「主の祈り」を下したのである。その主の祈りが何であると思うのか? 天の意志であり、そのまま役事してそのまま守りなさいというのだから、それに比べて君たちが救いを受けようとしながら望むことは、そのどこにあるのか捜すこともできないくらいに小さくて些細な微々たるものであるのに、君たちはどのような理由で祈祷、信仰、そのすべてを救いということに合わせて、そのようにするのか? 君たちは、救いということを、考えることもせず望むこともせず、君たちが私のところに上がることができるその天国の席が一つあったら、それさえ譲歩することができる心を育てることが君たちが勉強する道であり、私の民に生まれかわる道である。 君たちがそのように身悶えして哀願する救いというものは、私エホバが役事することに比べ..

大学院入学試験

この頃は、家からの仕送り(3万程)は使わず、アルバイトで生計を立てていた。大学に有賀という友人がいた。彼とは成績の競争していたのだけれど、お前は、大学以外の活動ばかりしているので成績が下がったのだと言われた。悔しかったので、3年生の勉強は、熱心にした。もちろんいろんな活動もしていた。3年生の時の頑張りが、大学院に進学することにつながった。専門課程の優の評価数が多い学生は、無試験で大学院に進学できたのだけれど、私は1つ足りなくてテストを受けた。友人の有賀は、無試験で大学院進学を許可されていた。 試験中に不思議な体験をした。問題を見ているとこの問題は何の問題かを考えていると、頭の中に以前3年生の時に整理したノートが浮かんだ、頭の中でそのノートをめくっていって問題の答えを見つけ出すことができた。ドイツ語の試験もあった。ドイツ語は辞書持ち込みであったので、初めは試験場に辞書をめくる音がしていた..

127 卷の神様のみ言葉

見えるこの世の限界[9,437番目神様のみ言葉の中から (2004年 2月 2日 08時 40分)] 愛する私の息子よ! 「はい、お父様! おっしゃってください。」 お前の弟子がお前に聞くのである。異なるこの世に異なる生命体が存在するのか、果して他の民は住んでいるのか、そして次のこの世はあるのかということをお前に聞くのである。君が何と言ったか? 見える人間この世を考えるな、見えない次元の高いこの世があるのだ、そのように目覚めさせてあげるのである。 今すべての私の民であり、私の新しい聖書を読んで目覚めた民、そしてお前にしたがう弟子たちの生きて行く限界が何であると思うのか? 形体があることのみ見て読んで目覚めるのだから、文字がない世界を見ることを知らず文字がない本を読むことができない民が、まさに君たちではないのか? 君たちが言うには、天を巻物にみなし海のその多量の水を墨汁にみなして書いて書..

126 卷の神様のみ言葉

この世のすべてと仲良くしなさい[9,344番目神様のみ言葉の中から (2004年 1月 25日 10時 22分)] 君たちは私に会おうとせず、私を見ようとせず、私に接しようとするな。それがすべて欲心である。だから、その心を空にしなければ、私に会うことができないし見られないし、私の聖霊であり私の音声を聞くことができないということを知りなさい。私に会って私に接しようとするなら、この世のすべてのものを愛しなさい。この世のものをすべて愛してこの世のすべてと仲良くしなさい。 草一株とも仲良くして彼らを愛して、動物一匹までも仲良くして彼らを愛したら、君たちと同じ兄弟、一緒にともに暮すこの世の人間をどうして呪いながら憎みながら嫉んで嫉妬するそのような心を持つことができるというのか? だから、君たちが私に会ってみようとするのなら、人間この世ですべてと仲良くして、愛で施して、すべてを愛してすべてに愛され..

124 卷の神様のみ言葉

真の真理の変化の渦[9,187番目神様のみ言葉の中から (2004年 1月 16日 07時 45分)] 真の真理と非真理の変化が何であると思うのか? 真の真理は、君たちが心の中で変化を感じ、天使のように美しい生活を生きて行くことができる芽が心の中で成長する変化が成り立つことである。 私の新しい聖書を真心をつくして精読した時、君たち自身の変化が成り立つのだから、その時その変化の渦を恐れるな。そして、君たちの心の中で起きるその渦の変化を阻もうと思ってもならないのである。本當に変化の渦が起きることより、もっと大きな私から受ける栄光であり恩恵は、ないのである。 罪悪が一杯に積もっている君たちの心を抜き出して抜き出したその場所に傷があるのだから、その痛みと恐れもまた忍耐することができないのである。しかし、君たちはそのようなことを経験して耐えなければならないのである。何かの変化が成り立って君たち自..

119 卷の神様のみ言葉

善良な事を行った者は生命の復活に[8,794番目神様のみ言葉の中から (2003年 12月 17日 11時 45分)] 聖書の記録に、「善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、」とある、これは私のところに上がる道を行くことであり、だから善良さが重要であり、善行によって生まれ変わるのである。「悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう」そのように伝えたのだから、悪い者も復活して来るのではなく、悪い者が審判を受ける時その代価を支払うのであり、地獄に行くのである。だから、また生命に行き、人間の生命や天に上がる救いの道ではなく、その罪にしたがって虫、獣、地獄、そのような状態で生まれかわるというのだから、この意味が分かったら、果してどのように生きて行かなければならないか、その選択は君たちの自由である。 ヨハネの黙示録[8,835番目神様の..

116 卷の神様のみ言葉

始めも終りもない真理[8,513番目神様のみ言葉の中から (2003年 11月 21日 11時 31分)] 始めもないし終りもないことが私エホバの真理であり、私が君たちに目覚めさせるものであり、この世のすべての真理はすべて私が天から地に送ったものである。風が通りすぎるように私の真理と私の真意が君たちといつも一緒にいて、君の周辺にあるのだから、それを捜して正しく使うか、使えないかによって変わる、変わることができないのである。だから、君たちはここで深く目覚めなさい。 人間事の師匠、親、隣人、兄弟から、この世の事から学んでまた正しいことを聞くことは、すべて私エホバの真理であり、私の意であることを知らなければならないのである。この世の人間事から正しく知って正しく教えることは、君たち人間が役事したと言ってもすなわち天の意志であり、私エホバが役事することを代わってすることであり、私の教えを聞くこと..

115 卷の神様のみ言葉

アブラハムの子孫 VS 聖霊で懐任したイエス様[8,455番目神様のみ言葉の中から (2003年 11月 17日 12時)] 君たちは、アブラハムからダビデまで14代が流れ、またダビデからバビロンまで14代が流れたし、バビロンからイエス様が生まれる時までがまた14代であると言って、14代、14代、14代と言いながら不思議に思って、そのような役事の中で私の息子イエスが生まれた、そのうように言うので、14で分けることがどういうことか? ただ、アブラハムからイエス様が生まれるまでそれを40代、50代とすれば良いことを、それを切って14、14としてそれも不思議なことのように作り上げたので、これがまさに聖書を持っていたずらをすることであり、君たち人間の考えでしたことである。 君たちは、ここで結論を下しなさい。今の信仰の道に行く宗教集団の指導者、君たちはそのような子孫が私の息子イエスだと言うのなら..

114 卷の神様のみ言葉

釈迦が誰か[8,369番目神様のみ言葉の中から (2003年 11月 12日 08時 43分)] 釈迦が誰か? 真の真理であり、万民を真の真理の道に目覚めさせて導こうと祈って敬拜したから、彼もまた私を捜したことを君たちは知らなければならないのである。君たちが、ひたすら救世主と言って君たちを救うという私の息子イエスも荒野で祈ってサタンと争って勝ったのだから、それはどういうことか? 彼もまた私エホバを知り私エホバの真理の道を知って、それを万民に目覚めさせるためにその苦しい役事の道を耐えたのではなかったのか? 悟りが高くて真の真理の道に近接して近くに行こうとする者、この世に向かって一点の恥ずかしさもない生活をしようと努力する民はすべて私の息子、娘だから、私の息子、娘が目覚めることのためにどのような道を行っても、その道を行くことが問題になることはないのである。だから、お釈迦様だイエス様だと甲論..

111 卷の神様のみ言葉

捨てなさい、すべてのものをすべてくるみなさい[8,103番目神様のみ言葉の中から (2003年 10月 23日 23時 24分)] 君たちに「捨てなさい。」とするのは、すべてのものをすべてくるみなさいとするのである。くるんで愛ですべてのものをすべてくるんで愛で溶かしてしまったら、それによってすべてを捨てるそのような境地に上がるよりもっと偉大であり、それが私が君たちに願う道であるということを知りなさい。 君たちは、くるむよりもっと偉大なことがないことを知りなさい。君たちが捨てると言って一つずつふたつずつ切り捨ててしまったら、君の周辺に残るものは何があるのか? 君たちが、子が何人かいるのでその子息たちが間違って過ち行くと言って一人ずつ切りはなしてしまったら果して誰が残るのか? 君の周辺に残るものがないし何も役事することがができないのである。その子息たちを私が捨てなさいと言っても捨てるのでは..