9,585番目手紙の中から (2004年 2月 11日 20時 51分)私が私の息子イエスを通じて「主の祈り」を下したのである。その主の祈りが何であると思うのか? 天の意志であり、そのまま役事してそのまま守りなさいというのだから、それに比べてあなたたちが救い受けようとしながら望むことは、そのどこにあるのか捜すこともできないくらいに小さくて些細な微々たるものであるのに、あなたたちはどのような理由で祈祷、信仰、そのすべてを救いということに合わせて、そのようにするのか?あなたたちは、救いということを、考えることもせず望むこともせず、あなたたちが私のところに上がることができるその天国の席が一つあったら、それさえ譲歩することができる心を育てることがあなたたちが勉強する道であり、私の民に生まれかわる道である。あなたたちがそのように身悶えして哀願する救いというのは、私エホバが役事することに比べれば何..